ノーマさんは、「ウェブマガジン カムイミンタラ」の取材に応じ、それは2005年9月号(第5号 通巻125号)特集「ノーマ・フィールドさん小林多喜二を語る 多喜二の『未完成性』が問いかけるもの」になりました。母親が日本人、その縁が北海道小樽市につながっている人でもあります。日本文学の古典の研究者としての歩みの中で、明治以降の近代日本文学へも関心を広げ、小樽にも滞在して小林多喜二にもその目が及ぶことになりました。プロレタリア文学者とされる小林多喜二を、w幅広い視野で斬新な提起も含まれたとらえかたをしており、また作家像を暖かくとらえているところは、カムイミンタラ特集でもうかがえるものとなっています。
今回の岩波新書、これまでのノーマさんの到達点あるいは集大成ともいうべき中身の濃い内容のものとなっています。
最初と最後にあたるプロローグとエピローグのなかで、3部構成の本文と違って、小林多喜二を「多喜二さん」「あなた」と呼びかけています。いくつかのノーマさんが体験したエピソードから、小林多喜二がどのように目にとまり、対象として大きくなっていったことがふれられています。そして、多喜二について言われてきたこと、それらへの自分の観点を、要領よく示しています。本文を理解し、手引きとするのにふさわしいスタートとしめくくりです。
3部構成の本体は、多喜二の生涯、作品の分析、それにとどまらず、戦前戦後の多喜二にかかわる論争についても筆は及んでいます。これまでも多喜二とプロレタリア文学に関しての論争、党派性、「政治の優位性」といったことへも踏み込んだものです。自身の意見もそういったことに対していねいに言及されています。
小林多喜二の改めての評価につながる近年の新しい大きな一石は、三浦綾子さんの小説「母」でした。ノーマさんは、違う形ですが、改めて新しい一石を投じたといっても過言ではないでしょう。それにしてもコンパクトな百科全書といっていい、広さを持った内容です。到達点論点なども俯瞰もでき個別なことにも行き着ける内容になっています。一里塚を打ち立てたといってよいかもしれません。これからは多喜二を知ろうわかろうという意欲のある人には、どうあっても通らなければならないものとして位置づけられるのではないでしょうか。どこの道からでもノーマさんのところからがいまのところ一番鳥瞰も俯瞰もできるものとして。
さらに高くも低くもなく、多喜二の目線からのとらえかたに意を注いでいます。なお豊かさを受け止めさせる裏打ちがされているのです。不毛な荒野が広がっている風景ではないのです。田口タキへの手紙から出会ったノーマさんの旅と歩み、この見事な一里塚をしめすところまできたのです。
以上 (UT) 090329