著者の佐藤貴美子さんは、主人公のモデルとなる女性医師との出会い、取材を通して、創作意欲をかきたてられたようです。
戦後の若々しい民主化の息吹、動きが、具体的によく描かれています。主人公も含め群像劇としても活き活きとしています。地域、家族、友情、苦労、努力、満載の痛快なエピソードが、笑わせも泣かせもさせてくれます。今に伝わるもの、今受け止めなければならないものはあるようです。
時代背景となっているスタートの時期は、まだ日本に国民皆保険制度がないときでした。1961(昭和31)年国民健康保険法が成立し国民皆保険制度が出来ましたが、その以前の貧しさから医療から遠ざけられている人々の実態が本当に生々しく迫るものになっていました。
旭川の作家故三浦綾子さんは戦後の闘病生活をまさに皆保険制度のないなか送りました。「両親はわたしの療養の世話ですっかり貧しくなった」といった表現を何かで目にした記憶があります。
朝日新聞の懸賞小説で選ばれ、庶民で体の弱い家庭の主婦からいちやく人気小説家としてその後の一生を送りました。形だけ見れば、サクセス・ストーリーであり、めでたしめでたしの話です。作家としての力量もその後の作品が示してくれています。しかし思いがけない懸賞金は負担を負った両親へのお返しにもはからずも役に立ったということにもなりました。2重3重のおかげが、たまたま応募しようと思い立ち夫光世さんの協力で実行できたことから生まれたのです。
「われら青春の時」を読んで、そのことを改めて思い起こすことになりました。戦後社会はいろいろな前向きの階段を歩んできていたのです。そして改善改革をしようとするさまざまな人々の声や活動が、それらを実現するてこになっていたことも。
小説では、松川事件などでの間違った政府関係者の発言やそれをうのみしにしたマスコミ報道で、共産党がまったく色眼鏡で見られていたことの雰囲気も良く出ています。もっとも戦後のそれまでの路線も問題もあったでしょうが。その壁がとりはらわれていったのは、医療活動、皆保険の運動、工場被害の解決のための努力を、まわりが認めていった結果でした。好き嫌い、支持する支持しないは別として、認めざるを得ない社会的存在になりました。結果として周りが理解し、受け入れていったのです。そして主人公たちの運動の飛躍は、伊勢湾台風被害での救援活動だったそうです。日本社会、ふところも深い社会であることもさらに知りました。
小説の中ですが、主人公は医療活動にたずさわっていくなか、理解を深めた日本共産党にも入党し、生涯の姿勢としたようです。社会に貢献する活動をしてきた立派な人を描いているわけですが、政治的に門外漢である読み手には、ズバリズバリと書かれていることに、いささかとまどいや違和感を感じるむきもあるかもしれません。私は知らない世間を知る意味でというななめからの角度で面白く読みましたが。
じつは知人からすすめられ、読んだ小説でした。佐藤貴美子さんもそれまでまったく知りませんでした。読んだところ面白い、掘り出し物に出会った気持です。きっかけを作った人に感謝することとなり、この文章となりました。
以上 (UT) 090811