2009年08月11日

おすすめします 佐藤貴美子「われら青春の時」

6月に新日本出版社から「われら青春の時」が出版されました。1950年代の医療運動をテーマにした小説です。20代の若いほやほやのなりたて医師が、地域医療に飛込んでいきます。その活動の中で本人も成長し、単に個人の医師や単体の病院の次元にとどまらない医療運動も成長していきます。

著者の佐藤貴美子さんは、主人公のモデルとなる女性医師との出会い、取材を通して、創作意欲をかきたてられたようです。

戦後の若々しい民主化の息吹、動きが、具体的によく描かれています。主人公も含め群像劇としても活き活きとしています。地域、家族、友情、苦労、努力、満載の痛快なエピソードが、笑わせも泣かせもさせてくれます。今に伝わるもの、今受け止めなければならないものはあるようです。

時代背景となっているスタートの時期は、まだ日本に国民皆保険制度がないときでした。1961(昭和31)年国民健康保険法が成立し国民皆保険制度が出来ましたが、その以前の貧しさから医療から遠ざけられている人々の実態が本当に生々しく迫るものになっていました。

旭川の作家故三浦綾子さんは戦後の闘病生活をまさに皆保険制度のないなか送りました。「両親はわたしの療養の世話ですっかり貧しくなった」といった表現を何かで目にした記憶があります。

朝日新聞の懸賞小説で選ばれ、庶民で体の弱い家庭の主婦からいちやく人気小説家としてその後の一生を送りました。形だけ見れば、サクセス・ストーリーであり、めでたしめでたしの話です。作家としての力量もその後の作品が示してくれています。しかし思いがけない懸賞金は負担を負った両親へのお返しにもはからずも役に立ったということにもなりました。2重3重のおかげが、たまたま応募しようと思い立ち夫光世さんの協力で実行できたことから生まれたのです。

「われら青春の時」を読んで、そのことを改めて思い起こすことになりました。戦後社会はいろいろな前向きの階段を歩んできていたのです。そして改善改革をしようとするさまざまな人々の声や活動が、それらを実現するてこになっていたことも。

小説では、松川事件などでの間違った政府関係者の発言やそれをうのみしにしたマスコミ報道で、共産党がまったく色眼鏡で見られていたことの雰囲気も良く出ています。もっとも戦後のそれまでの路線も問題もあったでしょうが。その壁がとりはらわれていったのは、医療活動、皆保険の運動、工場被害の解決のための努力を、まわりが認めていった結果でした。好き嫌い、支持する支持しないは別として、認めざるを得ない社会的存在になりました。結果として周りが理解し、受け入れていったのです。そして主人公たちの運動の飛躍は、伊勢湾台風被害での救援活動だったそうです。日本社会、ふところも深い社会であることもさらに知りました。

小説の中ですが、主人公は医療活動にたずさわっていくなか、理解を深めた日本共産党にも入党し、生涯の姿勢としたようです。社会に貢献する活動をしてきた立派な人を描いているわけですが、政治的に門外漢である読み手には、ズバリズバリと書かれていることに、いささかとまどいや違和感を感じるむきもあるかもしれません。私は知らない世間を知る意味でというななめからの角度で面白く読みましたが。

じつは知人からすすめられ、読んだ小説でした。佐藤貴美子さんもそれまでまったく知りませんでした。読んだところ面白い、掘り出し物に出会った気持です。きっかけを作った人に感謝することとなり、この文章となりました。

以上 (UT) 090811







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2009年07月31日

「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書提出

7月29日、政府の諮問機関「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(委員に北海道知事、北海道アイヌ協会会長など)が、とりまとめた報告書を、河村官房長官に提出しました。これまでになく踏み込んだ内容と報道されています。

アイヌに対する日本政府の取り組み(実効性のある政策策定へ)がスタートしていくことになります。内閣官房に統括窓口、懇談会の後継となる新たな審議機関も今秋発足予定とされています。これは今度の総選挙(8月30日投票)の結果で左右されることはないでしょう。新たな画期となる踏み出しがあったことになりました。

北海道新聞は7月30日から朝刊で3回連載の「共生への一歩}を掲載しています。

ウェブマガジン カムイミンタラ5月号特集が北海道アイヌ協会でした。それまでの流れをふりかえり未来を望む内容です。過去何回かのアイヌの方々の活動を特集してもきました。今回の報告書は、私たちにとっても、感慨深いものがあります。

アイヌ政策のこれから、曲折もあるでしょうし、坦々とした道ではないでしょうが、みのりのあるものが生み出されていってほしいと思っています。

以上 (室長) 090731
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2009年07月17日

カムイミンタラ三浦綾子特集ハングル版パンフレット完成

北海道の風土・文化誌カムイミンタラ1986年5月号(通巻14号)特集「時代と渡し 三浦綾子」が、ハングル版を作成、7月1日よりウェブ上でも読めるようになっています。英語版に引き続いての取り組みです。

このたび、ハングル版のパンフレットも作成しました。旭川市の三浦綾子記念文学館で、来館者などへ利用使用していただくことになりました。

韓国からの旭川空港への直通航空便が開設されていますが、スタートしたとき、韓国の航空会社関係者のなかからもまっさきの訪問者があったとか。あちらでの三浦文学ファンの厚さを感じさせる出来事でした。ハングル版パンフレットが、いっそうの交流と相互理解の促進に、少しでもお手伝いになればと、念じています。

以上 (室長) 090717
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2009年06月27日

おすすめします 「運命の人」第4巻がでました

山ア豊子さんの小説「運命の人」が単行本の第4巻が出版されて、完結しました。

舞台は急転して、沖縄です。ぼろぼろになった主人公、元新聞記者弓成は、そこで大きく自分をとりもどすことになります。

作者は、弓成と、彼をとりまく人々(現地の人、そして家族など)とに、未来を託す気持で、小説を閉じようとしているように思われます。現実は過酷でも、それに立ち向かうすがすがしさが、余韻として残された作品です。

内容詳細は、手にとって読むことでご確認ください。

沖縄密約は30年たって証拠文書の存在が、米国から発見されました。日本人歴史研究者に手によるものです。それも描かれています。

取材対象者の多さ幅広さ、綿密な資料収集、作品の厚みを支えているものになっています。第4巻の巻末のリストは圧巻です。

以上 (UT) 090627
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2009年06月12日

お知らせ ハングル版「時代とわたし 三浦綾子」

カムイミンタラ1986年5月号(第14号)特集「時代とわたし 三浦綾子」は、アーカイブズとして公開していますが、英語版を作成し、あわせて公開もしてきました。

このたび、三浦綾子記念文学館の協力もあり。翻訳者により、ハングル版での公開も行うことになりました。現在最終段階に入っています。

予定では早ければ6月下旬、遅くても7月には公開となります。

この作業と準備のため、さらに引き続くこともあるため、通常の次号は発行は延期といたします。恒例ですと、次号(148号)は7月1日予定ですが、読者の皆様にはご理解をいただきますよう、お願い申し上げます。

以上 (室長) 090612

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2009年05月29日

おすすめします 山崎豊子「運命の人」

月刊誌文藝春秋に、作家山ア豊子さんが、2005年1月号から2009年2月号まで連載していた「運命の人」が、文藝春秋社より全4巻の単行本として出版されています。5月末で3巻まで、6月に4巻がでて完結予定です。

月刊誌に連載中に気づき、飛び飛びですが読んでいました。完結もすぐ知らず、掲載されていないので、終わったのかまた期間をおいての継続かと、2月3月勝手に思っていました。

それが完結していて、4月から単行本として出版されました。おかげで、各号で機会のあるかぎり読んだものを、まとめて読めることとなりました。そうしてみると、連載で読んだ印象以上の読みごたえとなりました。ストーリーが面白い、主人公などの登場人物がじつに個性的です。事実をもとにしたフィクションですが、掘り下げた取材の上に、作者の思いがあふれた渾身の力作になっています。残りの4巻を首を長くして待っている心境です。

「文藝春秋」6月号に、山アさんが「『運命の人』と私」と題して談話を寄せています。そして読売新聞5月13日朝刊文化欄で、「沖縄の痛み 書ききる責務」とのインタビュー記事がでました。両方を読んで、山アさんという人、思いをようやく少しわかる気持になりました。

今84歳の作家が10年かけての「運命の人」、国家権力がどのようなものか、取り上げたことについてはそれでよいのかという、痛烈な声を滲ませたものになっているかと受け止めました。

知るべきことを知らず、無関心でいることは、自分もとんでもないことに巻き込まれている可能性があることに、気づかせてくれました。私でいう「沖縄密約事件」にもっと注意をはらいたいと思いました。

今年の特記される出版のひとつになるのではないのでしょうか。面白さもばつぐん、多くの人に読まれてほしいものです。

以上 (UT) 090529

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2009年05月07日

がんばっています「かもい岳の斉藤博さん」

カムイミンタラ1990年3月号(通巻37号)特集が、「ジュニアスキー選手を育てる 歌志内」でした。かもい岳レーシングの斉藤博さんを取り上げています。紙媒体のときの特集ですが、ウェブマガジン カムイミンタラのアーカイブズで読むことができます。

その斉藤さん、日本経済新聞5月5日号の1面連載「世界この先」第3部みえてきたもの第2回「再生への苦闘」で、登場していました。市直営のスキー場運営を引き受け奮闘している姿と発言です。

「アルペンスキーの選手だった斉藤博(60)は、1972年に市直営で開設されたかもい岳スキー場の経営を07年から任されている。業績は一進一退。楽ではない。元選手の斉藤は自らに問いかける。『ケガをした選手は人一倍努力し、頭を使うじゃないか』」

以上 (室長) 090507
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2009年04月30日

カムイミンタラ5月号公開しました

ウェブマガジン カムイミンタラ2009年5月号(第27号 通巻147号)を公開しました。今号の特集は、北海道アイヌ協会です。4月から名称を「アイヌ協会」変更し、昨年の国会決議以降の新しい段階に対応しようとしています。至る経過を含め、これまでを振り返る内容です。

今回の特集、外務省より、洞爺湖サミット時の写真を提供いただきました。取組んできたことがどのように評価されているのかを、国際的にもどのようであるか、象徴するものといえる写真です。要望にご理解いただき対応してもらいました。改めて付記させていただきます。

随想は、亀貝一義さん、木立真理さん、内山博さんから寄稿いただきました。それぞれの思いがこもった内容です。

5月号、お読みいただければ幸いです。

以上 (室長) 090430

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2009年04月14日

おすすめします 仙波敏郎「現職警官『裏金』内部告発」

現職警察官として、愛媛県警の「裏金」を告発した仙波敏郎さんが、この4月講談社より自身の体験をまとめた「現職警官『裏金』内部告発」を本として出しました。

「2009年(平成21年)3月31日、私は満60歳の定年を迎え、42年間の警察官人生にピリオドを打った。思えば、波乱に満ちた42年間であった。(中略)
警察官としての職務を全うし、誰にも恥じることなく、市民の安全を守るために第一線の現場に立ち続けてきた私に辞める理由などひとつもない。そもそも組織的な裏金づくりをやめていれば、私が告発会見をする必要はなかった。本来、辞めるべきは職権を濫用し、不正に手を染めた悪人たちであって、私ではない。
いくら幹部たちが私を辞めさせたいと思っても、正当な理由がなければ辞めさせることはできない。愛媛県警が最後まで私を辞めさせることができないのであれば、それは、私が言ってきたことが
正しく、一警察官として果たすべき責務を全うしたからだと正々堂々胸を張ることができる。そのとき初めて、私の『正義』が満天下に証明されるのだ。
だからこそ定年まで戦い続け、勤め上げることが重要だった。定年退職は、私にとって正義を貫いたことの証、勲章のようなものだと思っている。」(プロローグ −36年間の孤独な闘い)

「この本をまとめる過程で、『人間は1人で生きているわけではない』と改めて感じた。その気づきがなければ、私は怒りだけを持って退職しただろう。定年の日に感謝の気持を胸に警察を去ることができるのは、支えてくださったみなさんのおかげだ。」(エピローグ −友への誓い)

「事実は小説よりも奇なり」にふさわしい内容です。そのまま警世の書であると言っても過言ではないでしょう。そして登場する人間の暖かさ、すばらしさ、仙波さんもそれらの人々とも出会い(家族もふくめて)を経て、自らの成長するなかで筋を通してきました。そのことがじつにわかる内容にもなっています。ひとりでも多くの人に手にとって読んでいただきたい本です。

なお、警察の裏金問題の口火を切り、裏金問題に手を染めることを拒否していた仙波さんの実名告発の遠因ともなったのが、北海道警察の裏金実名告発(退職後でしたが)とその後の解明を求める運動でした。ウェブマガジン2005年11月号特集の「草の根の声を知事と同議会に」が北海道でも警察裏金追及の動きを紹介しています。

以上 (UT) 090414




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2009年03月31日

小菅正夫旭山動物園園長、現職最後のワンポイントガイド

3月31日、小菅正夫旭川市旭山動物園園長が旭川市職員として定年の日をむかえました。この日、現職としては最後になる、売り物のひとつワンポイントガイドを自ら行いました。総合動物舎のところで、カバやキリン、サイ、ダチョウなどを、1時間弱ものたっぷりしたガイドでした。

今全国から注目される「行動展示」の旭山動物園、それをつくりあげたのはなんといっても職員の夢と力、その先頭にたってきたのが小菅正夫さんでした。獣医として入園し、結果として天職を得たことにもなりました。今後は名誉園長として、引き続き活動をつづけます。

かって隔月刊の小冊子カムイミンタラ2003年7月号特集で、旭山動物園を取り上げました。「動物いきいき、人間ワクワク 旭川市旭山動物園」です。現在に至る歩みのなか、その当時の小菅さんをはじめとする旭山動物園の意欲的な活動を取り上げたものです。現在ウェブマガジン カムイミンタラのアーカイブズで、その特集お読みになることができます。

以上 (室長) 090331
posted by kamuimintara at 18:28| 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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