米大手新聞社ロサンゼルス・タイムスの記者ボブ・ドローギン記者の綿密な調査取材による著作「カーブボール」が、田村源二氏の翻訳で出版されました。産経新聞出版、2008年4月刊行ですが、まことにタイムリーな出版です。イラク戦争が引き起こした事態はまだ続いています。どう日本人として向き合うべきかでも示唆を与えてくれるものとなっています。
不確実な情報がアメリカによるイラク戦争の大義の根拠とされていました。その情報源のこと、開戦前に大統領の演説や、国務長官の国連演説で使われていった経過、そしてガセネタであることが明らかにされていった経過と結果、ドローギン記者は濃密に語っています。
題となっている「カーブボール」は、情報源のイラク人につけた米側情報機関ののコードネームです。「カーブボール」は野球で使われている球種カーブのことです。また違った意味「ペテン、ごまかし」でも一般的に使われているそうです。本書を読むと、皮肉なことにまさにその意味ズバリの言葉がコードネームにされていたのです。
訳者は「訳者あとがき」で述べています。
「(米諜報機関CIAがおかした歴史的大失態は)国家間の外交だけでなく、社会のあらゆるレベルで、正確なインテリジェンス(情報召集・分析・評価・防諜・謀略)が必要となっているいま、本書から学びとれる教訓はきわめて必要だ。また、このとんでもない誤りを生んだものは冤罪を生む構造に符合する、と指摘するかたもおられる。なるほど、と膝を打たずにはいられない。要するに本書は、さまざまな誤謬につながる普遍的な構造をも示してくれているのだ。」(511ページ)
結局CIAは2004年5月26日に内部通達で「カーブボール」からの情報を取り消しました。さらにその2週間後、米議会の情報活動を監視する委員会にそれを伝えました。当時のCIA長官テネットは、みずから国務省のパウエル長官に電話し、この知らせを伝えたそうです。
「受話器をおいたとき、パウエルは頭から湯気がたつほど激怒していた。この件は『完全に砕け散ってしまった」とパウエルはのちに言う。」(477ページ)
品川正治さんの言葉「戦争を起こすのも人間、戦争を止めるのも人間」が思い起こされました。
以上 (UT) 080408
2008年04月08日
2008年03月13日
おすすめします 「ザ・レイプ・オブ・南京」(日本語訳)、「『ザ・レイプ・オブ・南京』を読む」
「The Rape of Nanking」は、1997年に中国系アメリカ人アイリス・チャン氏(1968−2004)によって米国で出版されました。15年にわたる日中戦争の中、1937年12月の日本軍による南京占領とその直後引き起こされたいわゆる「南京大虐殺」(南京事件ともいわれており以下南京事件とします)について、本格的に論じた英語圏でははじめての本でした。出版以来、多大の反響を呼び、現在ではすでに「古典」ともいえる評価と位置づけがされているそうです。アメリカではほとんど知られていなかった南京事件を広く知らせることにもなりました。アメリカの歴史教科書にも南京事件が記述されていく推進力ともなったそうです。
10年たった2007年12月(事件の70年後)、初の日本語訳「ザ・レイプ・オブ・南京」(同時代社)が出版されました。同時に解説・注釈書「『ザ・レイプ・オブ・南京』を読む」も。年明けに書店の店頭で見かけたのが私が購入するきっかけです。(以下、「訳書」と「解説書」とします)
訳者であり解説書にもとりくんだのは、1951年日本生まれの台湾系在日中国人2世巫召鴻(ふしょうこう)氏。本業は現在有限会社コーナンソフト代表ということで、本業のかたわら翻訳に取り組んだようです。巫氏の翻訳にかけた熱意はなみなみならぬものがあったようです。著者アイリス・チャン氏の伝えたかったことを、訳書、解説書の同時発行という形で巫氏なりに示しています。
英語で書かれた原書は切れ目なく出版され続け、日本でも入手は容易です。以前に私も購入し目を通しています。しかし私の英語力では大意や概要把握はできても、きちんと読み取るべき細部の正確な理解やましてやニュアンスの受け止めといったところまでは、なかなか到達できませんでした。もどかしく感じたものです。読み取り方がどうだったのか、参照確認するうえにも便利なものが出たとうれしく思いました。きちんとした訳業が感じられるものです。原書の堂々たる3部構成、エピローグの率直な指摘などよく理解できるものとなっています。ジョン・ラーベの再発見と掘り起こし、家永三郎氏の裁判闘争などへの明確な評価など、豊富多彩な内容に改めて著者アイリス・チャン氏の熱意と先見性に敬服させられました。
アイリス・チャン氏はこう述べています。
「私の最大の希望は、本書が他の文筆家や歴史家を啓発し、毎年、減少している南京の生存者の過去からの声が完全に永遠に失われてしまう前に、彼らの経験談を調査記録する活動を刺激することである。また、本書が日本人の意識を動かし、この事件に対する責任を認めるようになることを希望している。あるいは、こちらのほうが重要なのかもしれない。
本書を書くに当たって、ジョージ・サンタヤナの不滅の警句を肝に銘じていた。『過去を思い出せない者は、過去を刳り返すよう運命づけられている』。」(訳書 25ページ 序)
巫氏は、出版の動機などについても述べています。
「本書の翻訳版の出版にあたり私が最も望むことは、日本の読者が本書の真の内容を実際に読んで、それぞれに考えてくれることーーー」(解説書 14ページ 翻訳出版に至る経緯)
たいへん暖かな姿勢ではありませんか。いまや国際社会でもある日本だから巫氏のような立場の人も登場したのでしょうか。
この翻訳出版については、多数の人の理解協力がありました。そのひとり大阪教育大学教授山田正行氏は、解説書後尾の「解説 忘却への抵抗と良知の責務」で、両書の出版の意義、経過、原書出版以来の論争点への言及などをコンパクトに整理してくれています。それは読者に虚心坦懐に判断してもらいたいとの思いを著者翻訳者と共有しています。
南京事件とそれが問いかけるものにどうひとりひとりが応えていくか、それはどういう意味を持つのかに対する、正面からの提起です。
まさに「多方面の人士から出版を望まれていた本書(解説書 14ページ)」ではないでしょうか。結果として時間がかかりましたが、遅すぎる出版では決してありません。昨年来「従軍慰安婦問題」でアメリカをはじめとする各国議会で、日本政府の公式謝罪を求める決議が次々となされています。日中戦争中、第2次世界大戦中、今の日本人と日本政府とが、ふりかえりきちんと受け止めていくべき課題(南京事件にとどまらず)は、道半ばというべきなのですから。
ただ、解説書74ページ3行目の「藤原、東中野両者」とあるのは校正ミスで「藤岡、東中野両者」となるところでしょう。
以上 (UT) 080313
10年たった2007年12月(事件の70年後)、初の日本語訳「ザ・レイプ・オブ・南京」(同時代社)が出版されました。同時に解説・注釈書「『ザ・レイプ・オブ・南京』を読む」も。年明けに書店の店頭で見かけたのが私が購入するきっかけです。(以下、「訳書」と「解説書」とします)
訳者であり解説書にもとりくんだのは、1951年日本生まれの台湾系在日中国人2世巫召鴻(ふしょうこう)氏。本業は現在有限会社コーナンソフト代表ということで、本業のかたわら翻訳に取り組んだようです。巫氏の翻訳にかけた熱意はなみなみならぬものがあったようです。著者アイリス・チャン氏の伝えたかったことを、訳書、解説書の同時発行という形で巫氏なりに示しています。
英語で書かれた原書は切れ目なく出版され続け、日本でも入手は容易です。以前に私も購入し目を通しています。しかし私の英語力では大意や概要把握はできても、きちんと読み取るべき細部の正確な理解やましてやニュアンスの受け止めといったところまでは、なかなか到達できませんでした。もどかしく感じたものです。読み取り方がどうだったのか、参照確認するうえにも便利なものが出たとうれしく思いました。きちんとした訳業が感じられるものです。原書の堂々たる3部構成、エピローグの率直な指摘などよく理解できるものとなっています。ジョン・ラーベの再発見と掘り起こし、家永三郎氏の裁判闘争などへの明確な評価など、豊富多彩な内容に改めて著者アイリス・チャン氏の熱意と先見性に敬服させられました。
アイリス・チャン氏はこう述べています。
「私の最大の希望は、本書が他の文筆家や歴史家を啓発し、毎年、減少している南京の生存者の過去からの声が完全に永遠に失われてしまう前に、彼らの経験談を調査記録する活動を刺激することである。また、本書が日本人の意識を動かし、この事件に対する責任を認めるようになることを希望している。あるいは、こちらのほうが重要なのかもしれない。
本書を書くに当たって、ジョージ・サンタヤナの不滅の警句を肝に銘じていた。『過去を思い出せない者は、過去を刳り返すよう運命づけられている』。」(訳書 25ページ 序)
巫氏は、出版の動機などについても述べています。
「本書の翻訳版の出版にあたり私が最も望むことは、日本の読者が本書の真の内容を実際に読んで、それぞれに考えてくれることーーー」(解説書 14ページ 翻訳出版に至る経緯)
たいへん暖かな姿勢ではありませんか。いまや国際社会でもある日本だから巫氏のような立場の人も登場したのでしょうか。
この翻訳出版については、多数の人の理解協力がありました。そのひとり大阪教育大学教授山田正行氏は、解説書後尾の「解説 忘却への抵抗と良知の責務」で、両書の出版の意義、経過、原書出版以来の論争点への言及などをコンパクトに整理してくれています。それは読者に虚心坦懐に判断してもらいたいとの思いを著者翻訳者と共有しています。
南京事件とそれが問いかけるものにどうひとりひとりが応えていくか、それはどういう意味を持つのかに対する、正面からの提起です。
まさに「多方面の人士から出版を望まれていた本書(解説書 14ページ)」ではないでしょうか。結果として時間がかかりましたが、遅すぎる出版では決してありません。昨年来「従軍慰安婦問題」でアメリカをはじめとする各国議会で、日本政府の公式謝罪を求める決議が次々となされています。日中戦争中、第2次世界大戦中、今の日本人と日本政府とが、ふりかえりきちんと受け止めていくべき課題(南京事件にとどまらず)は、道半ばというべきなのですから。
ただ、解説書74ページ3行目の「藤原、東中野両者」とあるのは校正ミスで「藤岡、東中野両者」となるところでしょう。
以上 (UT) 080313
2008年01月29日
おすすめします 半藤一利「戦う石橋湛山」
1930年生まれでいまなお活躍されているジャーナリストであり作家である半藤一利(はんどう・かずとし)さんの著作「戦う石橋湛山(いしばし・たんざん) 昭和史に異彩を放つ屈服なき言論」が年明けに出版されました。2001年に東洋経済新報社より新版として刊行されたものを新装版として改めて同社より刊行されたものです。最初は1995年の出版のようです。
書店の店頭で目にし購入しました。その本いままで出されていたことを知らず、読んで知った次第です。読んでみてまことに時宜にかなった再刊と受け止めました。紹介とさせていただきます。
半藤氏は「序章 その男性的気概」でこう述べています。
「これからわたくしが書こうとしているのは『石橋湛山伝』といったような巨人の全容ではないのである。−−−昭和5年のロンドン軍縮会議調印から6年の満洲事変、7年の満洲帝国成立、8年の国際連盟脱退とつづく、この短期間における、一連の事件をとおしての日本の言論そのものについて考えてみようと思うのである。」
当時の東洋経済新報の主幹として、きわめてリベラルな論陣を張りました。そのことが活写されています。そして、湛山の主張ばかりでなく、その相手とされた政治家、軍人、大マスコミのそのときの主張・発言が丁寧に採録されています。
果たして誰が、国を思い、国民を思い平和を直視していたのか。半藤氏の筆は、真正面から問うています。
過去を振り返り、具体的に把握していくことの大事さが分かるないようです。歴史の検証に耐える発言とはなにかを教えてくれます。
以上 (UT) 080129
書店の店頭で目にし購入しました。その本いままで出されていたことを知らず、読んで知った次第です。読んでみてまことに時宜にかなった再刊と受け止めました。紹介とさせていただきます。
半藤氏は「序章 その男性的気概」でこう述べています。
「これからわたくしが書こうとしているのは『石橋湛山伝』といったような巨人の全容ではないのである。−−−昭和5年のロンドン軍縮会議調印から6年の満洲事変、7年の満洲帝国成立、8年の国際連盟脱退とつづく、この短期間における、一連の事件をとおしての日本の言論そのものについて考えてみようと思うのである。」
当時の東洋経済新報の主幹として、きわめてリベラルな論陣を張りました。そのことが活写されています。そして、湛山の主張ばかりでなく、その相手とされた政治家、軍人、大マスコミのそのときの主張・発言が丁寧に採録されています。
果たして誰が、国を思い、国民を思い平和を直視していたのか。半藤氏の筆は、真正面から問うています。
過去を振り返り、具体的に把握していくことの大事さが分かるないようです。歴史の検証に耐える発言とはなにかを教えてくれます。
以上 (UT) 080129
2008年01月22日
おすすめします 「ドキュメント・仙波敏郎」
愛媛県警の裏金問題を告発した現職警察官仙波敏郎さんは、松山地裁の国家賠償請求訴訟第1審で、昨2007年見事な勝利判決を得ることになりました。(県警側は控訴、裁判は継続中)
「ドキュメント・仙波敏郎 告発警官1000日の記録」として、そのいきさつや歩みが、地元の創風社出版より年末刊行されました。著者は仙波さんの高校の同期生で、ひょんなことから「仙波敏郎さんを支える会」世話人となったジャーナリスト東玲治(ひがし・れいじ)さん。
さまざまな偶然から告発者となった仙波さんとその闘いを、多面的に描き出しています。暖かな目でのエールとなっています。
本文の最後はこう結ばれています。
「裁判が終わってもほんとうの意味での終わりはこないかもしれない。僕たちの時代に全てが解決することはないかもしれない。もし、そうだとしても、仙波は、この後、警察の不正が再び世に問われたとき、その遠因に目をやる者のよすが(手がかり)となるだろう。松橋、原田、斎藤が仙波にとってそうだったように。が、こうして彼が無私の告発者の系譜に名をとどめることの意味は大きい。
この告発がこの先、生かされようが生かされなかろうが、それは彼の責任ではない。責任をとるべき人間は他に山のようにいる。友人としての僕は今、仙波が平成21年春に無事に退職の日を迎え、背負ってきた重荷から解き放たれることだけを願っている。それが、仙波にとっての本当の勝利になるだろう。
仙波は元気だ。今日もJR松山駅に立っている。」
また「発刊にあたって」では東さんは次のように語っています。
「最後になったが、仙波を招き、彼の話に耳を傾けていただいた多くの皆さん、皆さんによって彼は守られてきました。御礼申し上げます。
それから、弁護団の皆さんにもお礼申し上げます。皆さんの献身的活動なくしては、県人事委員会の勝利採決も国賠事件の1審勝訴もありませんでした。
この本は、全て僕の責任において書かれたものであり、仙波敏郎にはその点においてなんら責任はありません。出版をお引き受けくださった創風社出版についても同じです。」
ウェブマガジン カムイミンタラでもとりあげた北海道の警察裏金問題、そこからの派生が大きな枝を広げたのです。
この友情と愛情と正義感にあふれたドキュメント、ぜひ多くの人にお読みいただきたいものです。
以上 (UT) 080122
「ドキュメント・仙波敏郎 告発警官1000日の記録」として、そのいきさつや歩みが、地元の創風社出版より年末刊行されました。著者は仙波さんの高校の同期生で、ひょんなことから「仙波敏郎さんを支える会」世話人となったジャーナリスト東玲治(ひがし・れいじ)さん。
さまざまな偶然から告発者となった仙波さんとその闘いを、多面的に描き出しています。暖かな目でのエールとなっています。
本文の最後はこう結ばれています。
「裁判が終わってもほんとうの意味での終わりはこないかもしれない。僕たちの時代に全てが解決することはないかもしれない。もし、そうだとしても、仙波は、この後、警察の不正が再び世に問われたとき、その遠因に目をやる者のよすが(手がかり)となるだろう。松橋、原田、斎藤が仙波にとってそうだったように。が、こうして彼が無私の告発者の系譜に名をとどめることの意味は大きい。
この告発がこの先、生かされようが生かされなかろうが、それは彼の責任ではない。責任をとるべき人間は他に山のようにいる。友人としての僕は今、仙波が平成21年春に無事に退職の日を迎え、背負ってきた重荷から解き放たれることだけを願っている。それが、仙波にとっての本当の勝利になるだろう。
仙波は元気だ。今日もJR松山駅に立っている。」
また「発刊にあたって」では東さんは次のように語っています。
「最後になったが、仙波を招き、彼の話に耳を傾けていただいた多くの皆さん、皆さんによって彼は守られてきました。御礼申し上げます。
それから、弁護団の皆さんにもお礼申し上げます。皆さんの献身的活動なくしては、県人事委員会の勝利採決も国賠事件の1審勝訴もありませんでした。
この本は、全て僕の責任において書かれたものであり、仙波敏郎にはその点においてなんら責任はありません。出版をお引き受けくださった創風社出版についても同じです。」
ウェブマガジン カムイミンタラでもとりあげた北海道の警察裏金問題、そこからの派生が大きな枝を広げたのです。
この友情と愛情と正義感にあふれたドキュメント、ぜひ多くの人にお読みいただきたいものです。
以上 (UT) 080122
2007年10月02日
おすすめします ノーム・チョムスキー「お節介なアメリカ」
アメリカの言語学者ノーム・チョムスキー(1928年生まれ、マサチューセッツ工科大学名誉教授)の著書がちくま新書からこの9月に発行されました。「お節介なアメリカ」です。
2002年9月4日から2007年3月5日まで、ニューヨーク・タイムス通信社の外部の執筆者による署名入りの評論記事として書かれ、配信されてきたものです。それを彼の著作を発表してきた「オープン・メディア・シリーズ」で発行したもの(はじめに グレッグ・ルギエロ)です。
彼のこの記事は、海外の新聞では広く取り上げられてきたがアメリカではめったに扱われていず、アメリカの「大手一流新聞」からは、掲載を拒否されてきたそうです。(はじめに)
アメリカ市民(アメリカ国民)として、9・11以降のアメリカの政府と政策へのチョムスキーの直言が、あふれている内容です。幅広い諸意見に対する彼の判断は痛快ともいえるものです。読者がそれをどう受け止めるか、どう判断するか、まことに興味深いものがあります。以前の発言が古びず、先見性からますます輝いている箇所が随所に見られると、私などは考えるのですが。
「現代の政治体制の特徴は、政策という争点を矮小化させてしまうことだ。選挙にあたり、広報やメディアは、政治の『課題』ではなく政治家の『資質』に焦点をあてる。たとえば候補者の外見や性格など、どうでもいいことに、だ。そして政党は、もはや候補者を商品としたシステムに成り下がっている。」(127ページ)
「数年ごとに候補者を売り込むという広告業界の通常業務は、商品を売るのと同じ要領で行われる。テレビをつけてみれば誰でも気づくことだが、業界は抽象理論が売り出されるような市場を弱体化させるべく、途方もない努力を傾けている。消費者がかしこく情報を得て、しうした理論のもとに理性的な選択を選択を行っては困るのだ。ーーそして、これとほぼ同じ方法が、民主主義を弱体化させるために使われている。つまり、有権者を情報不足にし、幻想にはまったままの状態にしておくという方法である。」(131ページ)
しかし、市民の理性ある声は、大きくたくましくなっていると、チョムスキーは展望をもって語っています。そうした動きがいっそう強まることに、本人の努力も向けられているようです。
以上 (UT) 071002
2002年9月4日から2007年3月5日まで、ニューヨーク・タイムス通信社の外部の執筆者による署名入りの評論記事として書かれ、配信されてきたものです。それを彼の著作を発表してきた「オープン・メディア・シリーズ」で発行したもの(はじめに グレッグ・ルギエロ)です。
彼のこの記事は、海外の新聞では広く取り上げられてきたがアメリカではめったに扱われていず、アメリカの「大手一流新聞」からは、掲載を拒否されてきたそうです。(はじめに)
アメリカ市民(アメリカ国民)として、9・11以降のアメリカの政府と政策へのチョムスキーの直言が、あふれている内容です。幅広い諸意見に対する彼の判断は痛快ともいえるものです。読者がそれをどう受け止めるか、どう判断するか、まことに興味深いものがあります。以前の発言が古びず、先見性からますます輝いている箇所が随所に見られると、私などは考えるのですが。
「現代の政治体制の特徴は、政策という争点を矮小化させてしまうことだ。選挙にあたり、広報やメディアは、政治の『課題』ではなく政治家の『資質』に焦点をあてる。たとえば候補者の外見や性格など、どうでもいいことに、だ。そして政党は、もはや候補者を商品としたシステムに成り下がっている。」(127ページ)
「数年ごとに候補者を売り込むという広告業界の通常業務は、商品を売るのと同じ要領で行われる。テレビをつけてみれば誰でも気づくことだが、業界は抽象理論が売り出されるような市場を弱体化させるべく、途方もない努力を傾けている。消費者がかしこく情報を得て、しうした理論のもとに理性的な選択を選択を行っては困るのだ。ーーそして、これとほぼ同じ方法が、民主主義を弱体化させるために使われている。つまり、有権者を情報不足にし、幻想にはまったままの状態にしておくという方法である。」(131ページ)
しかし、市民の理性ある声は、大きくたくましくなっていると、チョムスキーは展望をもって語っています。そうした動きがいっそう強まることに、本人の努力も向けられているようです。
以上 (UT) 071002
2007年09月29日
おすすめします 中村義「川柳のなかの中国」
日本経済新聞文化欄に中村義(なかむら・ただし)さんが、戦前の川柳からみた日本と中国ということについて寄稿をされていたことは8月27日のこのブログで紹介しています。その中村さんのまもなく出版すると述べられていた本がわかりました。
「川柳のなかの中国 −日露戦争からアジア・太平洋戦争までー」(岩波書店 税別本体価格3600円)でした。中村さんの熱意が伝わる力作です。
いわゆる江戸期の「古川柳」に対して、現代につながる「新川柳」は、1903(明治36)年7月3日新聞「日本」に「新題柳樽」という川柳の時事句欄が設けられたことによるようです(同書36ページ)。担当が井上剣花坊でした。正岡子規が俳句短歌の革新を主張する舞台となった「日本」が、川柳革新でも大きな役割を果たしたことを教えられました。当時の編集長古島一雄(こじま・かずお)の発想と着眼がそのスタートになっています。言論人古島は、立憲主義政党人としても貫き、戦後1952(昭和27)年に86歳の生涯を終えました。
中村さんは「第6章翻弄される人々」のなかで、第13期海軍飛行予備学生(特攻隊)に1項を割き、1952年に遺族会の手で刊行された「雲ながるる果てに −戦歿飛行予備学生の手記」のなかに掲載された学生4人による合作百句川柳に言及しています。
「−−戦没学徒兵の遺書については他にも類書がある。収録されている遺書には、決別の心境を書き残した詩や短歌は比較的目につくが、こと川柳になると、この合作百句のみと思われる。したがって、近代川柳史上、すぐれて希少価値は高く、戦中期川柳として後世に語り伝えるべき不滅の時事吟である。」(同 235ページ)
及川肇(盛岡高工)、遠山善雄(米沢高工)、福地貴(東京薬専)、伊熊二郎(日本大学)の4人(全員23歳)が、鹿児島の特攻基地で出撃の前、川柳の合作を行いました。そして全員1945年4月に戦死しています。それがよく残されていて、またよく収録されたものです。
百句の冒頭が「生きるのは良いものと気がつく三日前」。そして次のような句もある若者たちでした。
「ジャズ恋し早く平和が来ればよい」
「アメリカと戦ふ奴がジャズを聞き」
「特攻のまずい辞世を記者はほめ」
「勝敗はわれらの知った事でなし」
「必勝論必敗論と手を握り」
また、中村さんによれば、土浦の陸上自衛隊武器学校内に海軍飛行予科練出身戦没者の記念館があり、そこにも飛行予科練習生鈴木丈司の一句が残されているそうです。(同 242ページ)
「七洋に桜花飛込む水の音」
今の理解感覚も踏まえた光を、中村さんは5人とその作品に当てました。「温故知新」という言葉を思い起こすこととなりました。
2007年8月は1757年に川柳が発祥して250年(あとがき)だそうです。まさにそれにふさわしい出版といえそうです。
以上 (UT) 070929
「川柳のなかの中国 −日露戦争からアジア・太平洋戦争までー」(岩波書店 税別本体価格3600円)でした。中村さんの熱意が伝わる力作です。
いわゆる江戸期の「古川柳」に対して、現代につながる「新川柳」は、1903(明治36)年7月3日新聞「日本」に「新題柳樽」という川柳の時事句欄が設けられたことによるようです(同書36ページ)。担当が井上剣花坊でした。正岡子規が俳句短歌の革新を主張する舞台となった「日本」が、川柳革新でも大きな役割を果たしたことを教えられました。当時の編集長古島一雄(こじま・かずお)の発想と着眼がそのスタートになっています。言論人古島は、立憲主義政党人としても貫き、戦後1952(昭和27)年に86歳の生涯を終えました。
中村さんは「第6章翻弄される人々」のなかで、第13期海軍飛行予備学生(特攻隊)に1項を割き、1952年に遺族会の手で刊行された「雲ながるる果てに −戦歿飛行予備学生の手記」のなかに掲載された学生4人による合作百句川柳に言及しています。
「−−戦没学徒兵の遺書については他にも類書がある。収録されている遺書には、決別の心境を書き残した詩や短歌は比較的目につくが、こと川柳になると、この合作百句のみと思われる。したがって、近代川柳史上、すぐれて希少価値は高く、戦中期川柳として後世に語り伝えるべき不滅の時事吟である。」(同 235ページ)
及川肇(盛岡高工)、遠山善雄(米沢高工)、福地貴(東京薬専)、伊熊二郎(日本大学)の4人(全員23歳)が、鹿児島の特攻基地で出撃の前、川柳の合作を行いました。そして全員1945年4月に戦死しています。それがよく残されていて、またよく収録されたものです。
百句の冒頭が「生きるのは良いものと気がつく三日前」。そして次のような句もある若者たちでした。
「ジャズ恋し早く平和が来ればよい」
「アメリカと戦ふ奴がジャズを聞き」
「特攻のまずい辞世を記者はほめ」
「勝敗はわれらの知った事でなし」
「必勝論必敗論と手を握り」
また、中村さんによれば、土浦の陸上自衛隊武器学校内に海軍飛行予科練出身戦没者の記念館があり、そこにも飛行予科練習生鈴木丈司の一句が残されているそうです。(同 242ページ)
「七洋に桜花飛込む水の音」
今の理解感覚も踏まえた光を、中村さんは5人とその作品に当てました。「温故知新」という言葉を思い起こすこととなりました。
2007年8月は1757年に川柳が発祥して250年(あとがき)だそうです。まさにそれにふさわしい出版といえそうです。
以上 (UT) 070929
2007年07月13日
おすすめします 漫画「神聖喜劇」
大西巨人(おおにし・きょじん)の小説「神聖喜劇」は、戦後25年かけて執筆され、400字詰め原稿用紙4700枚分の分量という長大なものだそうです。しかも、主人公のひとりの兵隊の3ヶ月の軍隊生活を描いたものですが、とにかく複雑で入り組んだディスカッションドラマの構造で、なかなか通読できるものではないそうです。高い評価を受けているそうですが、広く読まれているとはいえません。私にとっても作者名と題名だけはかろうじて知っている小説で、手をだそうなどまったく考えたこともないものでした。
2006年5月がら今年春ににかけて、漫画「神聖喜劇」が幻冬舎より発行されました。分厚いソフトカバー版全6冊の構成です。大西巨人氏の了解と監修のもとに、岩田和博氏が企画発想しセリフの選択も担当、のぞゑのぶひさ氏の漫画で、10年がかりで実現することとなりました。
たまたま漫画版第1巻を手にし、最終巻第6巻まで通読する機会がありました。私にとっては、漫画版でさえ、長大でいりくんでおり、長い難しいセリフについていくのは大変でした。漫画であらすじとポイントのいくつかがわかったとはいえ、原作の小説に取り組もうということにはつながりませんでした。
しかし、目を開かれる思いを与えてくれた漫画「神聖喜劇」からしても、原作は読みこなせる人にとってまことに手ごたえのある小説であることは間違いないようです。漫画ばかりでなく、小説ももっと読まれてほしいものだという気持ちはしっかり刻み込まれました。
漫画版神聖喜劇(原作もそうなのでしょう)は、太平洋戦争のはじまった1ヶ月くらいあとの1942(昭和17)年はじめからの3ヶ月、長崎県対馬要塞での新兵東堂太郎(24歳)の遭遇した事態と彼の対応を中心にすえた内容です。私見ですが、戦前の日本軍隊の「いびつさ」を、徹底的に告発するものとなっているところが、特色といえば特色、特徴といえば特徴と思われます。
第1巻で中条省平氏は、「神聖喜劇」は、ミステリーであり、冒険小説であり、恋愛小説であり、ユーモア小説であり、思想小説であり、そうした側面をすべてひっくるめて、バルザックのいう「人間喜劇」であると言っています。そして漫画はその醍醐味をみごとに浮き彫りにしているそうです。
私は、出だしから緊迫することになっていった、東堂と上官たちの「知りません」「忘れました」に関するやりとりが印象に残りました。新兵に「忘れました」と答えさせなれさせていくやり方に疑問を持ち、「知りません」と答えたことから質問していくことになりました。回答に対して「知りませんの禁止」と「忘れましたの強制」は、きちんとした基準規範にも根拠のないものであることが明らかになっていくのです。それでいてその間違いを正さないところが「軍隊」なのです。
話の面白さ、漫画の面白さをひさしぶりにたんのうする機会となりました。難しいセリフをかみくだこうと努力するのも面白いものでした。
以上 (UT) 070713
2006年5月がら今年春ににかけて、漫画「神聖喜劇」が幻冬舎より発行されました。分厚いソフトカバー版全6冊の構成です。大西巨人氏の了解と監修のもとに、岩田和博氏が企画発想しセリフの選択も担当、のぞゑのぶひさ氏の漫画で、10年がかりで実現することとなりました。
たまたま漫画版第1巻を手にし、最終巻第6巻まで通読する機会がありました。私にとっては、漫画版でさえ、長大でいりくんでおり、長い難しいセリフについていくのは大変でした。漫画であらすじとポイントのいくつかがわかったとはいえ、原作の小説に取り組もうということにはつながりませんでした。
しかし、目を開かれる思いを与えてくれた漫画「神聖喜劇」からしても、原作は読みこなせる人にとってまことに手ごたえのある小説であることは間違いないようです。漫画ばかりでなく、小説ももっと読まれてほしいものだという気持ちはしっかり刻み込まれました。
漫画版神聖喜劇(原作もそうなのでしょう)は、太平洋戦争のはじまった1ヶ月くらいあとの1942(昭和17)年はじめからの3ヶ月、長崎県対馬要塞での新兵東堂太郎(24歳)の遭遇した事態と彼の対応を中心にすえた内容です。私見ですが、戦前の日本軍隊の「いびつさ」を、徹底的に告発するものとなっているところが、特色といえば特色、特徴といえば特徴と思われます。
第1巻で中条省平氏は、「神聖喜劇」は、ミステリーであり、冒険小説であり、恋愛小説であり、ユーモア小説であり、思想小説であり、そうした側面をすべてひっくるめて、バルザックのいう「人間喜劇」であると言っています。そして漫画はその醍醐味をみごとに浮き彫りにしているそうです。
私は、出だしから緊迫することになっていった、東堂と上官たちの「知りません」「忘れました」に関するやりとりが印象に残りました。新兵に「忘れました」と答えさせなれさせていくやり方に疑問を持ち、「知りません」と答えたことから質問していくことになりました。回答に対して「知りませんの禁止」と「忘れましたの強制」は、きちんとした基準規範にも根拠のないものであることが明らかになっていくのです。それでいてその間違いを正さないところが「軍隊」なのです。
話の面白さ、漫画の面白さをひさしぶりにたんのうする機会となりました。難しいセリフをかみくだこうと努力するのも面白いものでした。
以上 (UT) 070713
2006年12月31日
2007年1月27日、品川正治さん札幌で講演
このブログで9月11日に著書「戦争の本当のこわさを知る 財界人の直言」を紹介させていただいた品川正治さんの講演会が札幌で行われます。
2007年1月27日午後JR札幌駅側の共済ホール(札幌市中央区北4西1)で、「平和・民主・革新の日本をめざす北海道の会」(略称北海道革新懇)の「2007年新春のつどい」のなかで第2部記念講演で登場予定です。
プログラム
13:00 開場 13:10開会
13:15 第1部 文化行事
14:15 第2部 記念講演
演題 「これからの日本の座標軸 −憲法九条二項と人間の力ー」
講師 経済同友会終身幹事・国際開発センター会長 品川正治
15:50 閉会
参加券 1000円
連絡先は北海道革新懇で、
連絡先 〒060−0042 札幌市中央区大通西12丁目 斉藤ビル2階
電話 011−252−6315
品川さんは、「財界人の直言」あと、かっての教え子たちへの講演録「これからの日本の座標軸」を新たに出版するなど、高齢にもかかわらず元気な活動を続けています。戦争をするのも人間、戦争を止めるのも人間とおっしゃっている品川さん、どんなお話を聞かせていただけるでしょう。これまで品川さんと縁が深いとは思われない団体の呼びかけにこたえての登場です。
お知らせとさせていただきます。
以上 (UT) 061231
2007年1月27日午後JR札幌駅側の共済ホール(札幌市中央区北4西1)で、「平和・民主・革新の日本をめざす北海道の会」(略称北海道革新懇)の「2007年新春のつどい」のなかで第2部記念講演で登場予定です。
プログラム
13:00 開場 13:10開会
13:15 第1部 文化行事
14:15 第2部 記念講演
演題 「これからの日本の座標軸 −憲法九条二項と人間の力ー」
講師 経済同友会終身幹事・国際開発センター会長 品川正治
15:50 閉会
参加券 1000円
連絡先は北海道革新懇で、
連絡先 〒060−0042 札幌市中央区大通西12丁目 斉藤ビル2階
電話 011−252−6315
品川さんは、「財界人の直言」あと、かっての教え子たちへの講演録「これからの日本の座標軸」を新たに出版するなど、高齢にもかかわらず元気な活動を続けています。戦争をするのも人間、戦争を止めるのも人間とおっしゃっている品川さん、どんなお話を聞かせていただけるでしょう。これまで品川さんと縁が深いとは思われない団体の呼びかけにこたえての登場です。
お知らせとさせていただきます。
以上 (UT) 061231
2006年12月26日
おすすめします 「警察庁から来た男」佐々木譲
佐々木譲(ささき・じょう)さんが、書き下ろし小説「警察庁から来た男」を角川春樹事務所からこの12月出版しました。本体価格1600円+税です。
北海道警察本部を舞台にした3部作の2作目というふれこみです。1作目は「うたう警官」、警察小説に新境地を開きました。「うたう」とは、警察関係者が警察に都合の悪いことを発言すること、組織内の「常識」では忌み嫌われることを意味します。現職警官が北海道議会百条委員会で「警察裏金」問題の証人として告発証言することになります。あわてふためく道警トップのキャリアたち。そのとき婦人警官がなんと警察のアジトで殺されるという事件が発生しました。このふたつのことが絡んで筋は展開していきます。結果だけ言えば、殺人事件は解決され、証言は実現します。(現実の北海道議会では「警察裏金」に関する百条委員会はいまだ実現していない出来事です。フィクションでの道議会は、現実よりすすんだ議員たちが多数派で活動しているようです)
2作目「警察庁から来た男」は、北海道警察本部に問題あるのではないかと見た警察庁が重い腰を上げて、監察官を派遣します。その監察官藤川春也がその監察に要員として起用したのが、「うたう警官」で「うたった」津久井卓(つくい・すぐる)巡査長でした。監察官はどうして彼を起用したのでしょうか。
証言後の徹底した冷や飯処遇(これはありそうな話です)にめげない津久井巡査長たち(複数の意味は話でご確認ください)が、また活躍するという、「うれしい話」になっています。難しく考えず楽しく面白く読める内容です。結末のさわやかさは、佐々木さんの警察と警察官に対するまっとうな愛情がひしひしと感じられます。元気な方、元気になりたい方にとくにおすすめしたい本でした。
「うたう警官」を読んでいない方もはいりやすい内容です。さかのぼって「うたう警官」を読むのもよし、先に「うたう警官」を読んでから「警察庁から来た男」を読むのもよし、というのもにくいことではありませんか。
間違いなく3作目への期待は高まりました。
以上 (UT) 061226
北海道警察本部を舞台にした3部作の2作目というふれこみです。1作目は「うたう警官」、警察小説に新境地を開きました。「うたう」とは、警察関係者が警察に都合の悪いことを発言すること、組織内の「常識」では忌み嫌われることを意味します。現職警官が北海道議会百条委員会で「警察裏金」問題の証人として告発証言することになります。あわてふためく道警トップのキャリアたち。そのとき婦人警官がなんと警察のアジトで殺されるという事件が発生しました。このふたつのことが絡んで筋は展開していきます。結果だけ言えば、殺人事件は解決され、証言は実現します。(現実の北海道議会では「警察裏金」に関する百条委員会はいまだ実現していない出来事です。フィクションでの道議会は、現実よりすすんだ議員たちが多数派で活動しているようです)
2作目「警察庁から来た男」は、北海道警察本部に問題あるのではないかと見た警察庁が重い腰を上げて、監察官を派遣します。その監察官藤川春也がその監察に要員として起用したのが、「うたう警官」で「うたった」津久井卓(つくい・すぐる)巡査長でした。監察官はどうして彼を起用したのでしょうか。
証言後の徹底した冷や飯処遇(これはありそうな話です)にめげない津久井巡査長たち(複数の意味は話でご確認ください)が、また活躍するという、「うれしい話」になっています。難しく考えず楽しく面白く読める内容です。結末のさわやかさは、佐々木さんの警察と警察官に対するまっとうな愛情がひしひしと感じられます。元気な方、元気になりたい方にとくにおすすめしたい本でした。
「うたう警官」を読んでいない方もはいりやすい内容です。さかのぼって「うたう警官」を読むのもよし、先に「うたう警官」を読んでから「警察庁から来た男」を読むのもよし、というのもにくいことではありませんか。
間違いなく3作目への期待は高まりました。
以上 (UT) 061226
2006年12月01日
おすすめします アーカイブズ キーワード検索
戦後を代表する劇作家のひとり、木下順二さんが亡くなったことが報道されました。10月30日に亡くなられていて、享年92歳。
代表作のひとつが「夕鶴」。鶴の恩返しという民話を題材にし、こどもにもわかりやすい筋立てとなっており、よく知られている作品です。主役の鶴の化身「おつう」を山本安英(やまもと・やすえ)さんが演じた舞台も、高い評価を得たものとなりました。
ふと連想したのが、カムイミンタラでは、「演劇」ということで特集でとりあげたこともあるし、寄稿していただいたものの中にも演劇にちなんだものもあるということでした。
早速カムイミンタラアーカイブズで、「演劇」という言葉でキーワード検索を行いました。そうすると、先に述べたなまとまりのあるものを含め、「演劇」という言葉は、延べ17件の特集やずいそうで使われていることがわかりました。特集のなかで11件、ずいそうで6件です。1985年11月号(通巻11号)から、ウェブマガジン・カムイミンタラ2006年7月号(ウェブ版第10号 通巻130号)にわたっていました。さまざま形でですが、これまでの集積を示してくれます。
他の例、たとえば、「アイヌ」でキーワード検索しますと、これは1984年3月号(通巻1号)から2006年9月号(ウェブ版11号 通巻131号)まで、56件がリストアップされてきます。
このような形でカムイミンタラアーカイブズを活用すると、関心のおもむくまま、これまでを振り返ったり確認することもできます。こうしたカムイミンタラの楽しみ方も現在はあること、認識いただければ幸いです。
以上 (UT) 061201
代表作のひとつが「夕鶴」。鶴の恩返しという民話を題材にし、こどもにもわかりやすい筋立てとなっており、よく知られている作品です。主役の鶴の化身「おつう」を山本安英(やまもと・やすえ)さんが演じた舞台も、高い評価を得たものとなりました。
ふと連想したのが、カムイミンタラでは、「演劇」ということで特集でとりあげたこともあるし、寄稿していただいたものの中にも演劇にちなんだものもあるということでした。
早速カムイミンタラアーカイブズで、「演劇」という言葉でキーワード検索を行いました。そうすると、先に述べたなまとまりのあるものを含め、「演劇」という言葉は、延べ17件の特集やずいそうで使われていることがわかりました。特集のなかで11件、ずいそうで6件です。1985年11月号(通巻11号)から、ウェブマガジン・カムイミンタラ2006年7月号(ウェブ版第10号 通巻130号)にわたっていました。さまざま形でですが、これまでの集積を示してくれます。
他の例、たとえば、「アイヌ」でキーワード検索しますと、これは1984年3月号(通巻1号)から2006年9月号(ウェブ版11号 通巻131号)まで、56件がリストアップされてきます。
このような形でカムイミンタラアーカイブズを活用すると、関心のおもむくまま、これまでを振り返ったり確認することもできます。こうしたカムイミンタラの楽しみ方も現在はあること、認識いただければ幸いです。
以上 (UT) 061201
2006年11月02日
オーマイニュース日本版、札幌のシンポジウム報道
11月2日、インターネット新聞オーマイニュース日本版が、10月29日札幌で行われたシンポジウム「北海道はこれでいいのか!『道政、道警、裏金報道』を考える集い」をくわしく紹介しました。続報もあるようですが、関心があっても参加できなかった人にとっては、たいへんありがたい報道となりました。
中台達也記者による「身ぎれいでなければ権力の疑惑追及は不可能 札幌市内でシンポジウム」という記事です。基調講演とパネルディスカッションの構成。田原総一郎氏が冒頭に基調講演、続くパネルディスカッションが田原総一郎、大谷昭宏、宮崎学、魚住昭、原田宏二、山口二郎という諸氏がパネリスト、コーディネーターが市川守弘氏という顔ぶれでした。
臨場感あふれる報道ではないかとの印象を持ちました。お読みいただくことお勧めします。
以上 室長 061102
中台達也記者による「身ぎれいでなければ権力の疑惑追及は不可能 札幌市内でシンポジウム」という記事です。基調講演とパネルディスカッションの構成。田原総一郎氏が冒頭に基調講演、続くパネルディスカッションが田原総一郎、大谷昭宏、宮崎学、魚住昭、原田宏二、山口二郎という諸氏がパネリスト、コーディネーターが市川守弘氏という顔ぶれでした。
臨場感あふれる報道ではないかとの印象を持ちました。お読みいただくことお勧めします。
以上 室長 061102
2006年10月07日
おすすめします 毎日新聞社社会部「縦並び社会」
2005年12月から2006年7月まで、毎日新聞に連載(計5部)された企画「縦並び社会」シリーズが、毎日新聞社より9月に出版されました。毎日新聞社会部「縦並び社会 貧富はこうして作られる」(本体1400円+税)です。
現在の新しい格差を、派遣労働などの現場から浮き彫りにしています。さらに、そうした記事についての読者、研究者からの発言をていねいに集め、多面的多角的な内容にしています。目は日本国内に留まらず、広く海外の実情も広く深くふれるものにしています。
いまのままの「格差」の進行、将来誰にとっても深刻さが増すと言う警鐘が鳴らされていました。説得力ある分析です。将来の可能性の芽を摘むことの恐ろしさを教えてくれています。改めてセーフティガードも見つめ直さなければなりません。
最後の第5部「識者からの提言」、立場考えを違いをのりこえて、憂慮しなくてはならない問題の大きさをはっきりさせています。企画「縦並び社会」は、どこから考えていけばよいのか、どんなことを行動につなげなければならないのか、国民ひとりひとりに対して、誠実な投げかけが行われています。
以上 (UT) 061007
現在の新しい格差を、派遣労働などの現場から浮き彫りにしています。さらに、そうした記事についての読者、研究者からの発言をていねいに集め、多面的多角的な内容にしています。目は日本国内に留まらず、広く海外の実情も広く深くふれるものにしています。
いまのままの「格差」の進行、将来誰にとっても深刻さが増すと言う警鐘が鳴らされていました。説得力ある分析です。将来の可能性の芽を摘むことの恐ろしさを教えてくれています。改めてセーフティガードも見つめ直さなければなりません。
最後の第5部「識者からの提言」、立場考えを違いをのりこえて、憂慮しなくてはならない問題の大きさをはっきりさせています。企画「縦並び社会」は、どこから考えていけばよいのか、どんなことを行動につなげなければならないのか、国民ひとりひとりに対して、誠実な投げかけが行われています。
以上 (UT) 061007
2006年09月19日
おすすめします 猿谷要「アメリカよ、美しく年をとれ」
1923(大正12)年生まれの、アメリカ史専攻の歴史学者猿谷要(さるたに・かなめ)さんが、「アメリカよ、美しく年をとれ」(岩波新書 2006年8月刊 本体700円+税)を出版しました。
猿谷さんは、日本人としての本格的なアメリカ史研究者として、もっとも早く取り組まれた人です。猿谷さん、こんな体験をしながら研究者となっていきました。旧制の仙台の第2高等学校での西洋史はフランスやドイツ中心、戦後まもなくの東大の西洋史学科でも、アメリカの歴史を教えてくれる先生が一人もいませんでした。
1945年7月上旬北海道の東の外れの西春別(現別海町)の軍の飛行場で、米軍のグラマン機の攻撃に遭遇します。そのとき近くまで来たので目撃できた飛行士が、22歳の猿谷さんより若いだろう少年だったのです。「鬼畜米英」と叩き込まれてきた猿谷さん、「私は戦っている相手のことを、まったく知らないでいたのではなかったか。」と気づきます。そのときから、アメリカを知りたいという思いが湧き、生涯の仕事につながっていきました。
本書はは、ご本人の半世紀以上にわたるアメリカ心象風景をまとめたものです。戦争体験からはじまり、幾多の訪米交流の中で、得られたことを、エッセイ風にまとめています。アメリカに対する暖かな思いにあふれた本です。「(65年間)私は敵国としてアメリカと戦ったり、友好国の一員となってアメリカの大学で学んだり、またアメリカでの生活を通じてその賛美者となったり、批判者となってきたりした。」
(序章 アメリカは若い国か)
猿谷さん、2003年に米ブッシュ政権がイラク戦争をはじめたとき、緊急に10数人の人と、アメリカへのよびかけ「アメリカよ!」という本を編纂したそうです。その本のご本人の文章が、「アメリカよ美しく年をとれ」。そのときからの思いを、結実されました。
本文の最後はこうしめくくられています。
「拡大強化されたEUと、世界人口の5分の1を占める中国を含んだ東アジアが、アメリカと並んで「世界三強」となる日が近づいている。そのときこそアメリカは、美しく初老の時期を迎えなければならないのである。」
目配りとバランスのとれた内容です。偏らず広く見るということの大事さ、痛感させてくれました。しかしイラク戦争に関しては、アメリカにとってすでに重荷であり、継続が困難であることを、猿谷さんは指摘しています。多くの方がお読みになることを期待します。
以上 (UT)
猿谷さんは、日本人としての本格的なアメリカ史研究者として、もっとも早く取り組まれた人です。猿谷さん、こんな体験をしながら研究者となっていきました。旧制の仙台の第2高等学校での西洋史はフランスやドイツ中心、戦後まもなくの東大の西洋史学科でも、アメリカの歴史を教えてくれる先生が一人もいませんでした。
1945年7月上旬北海道の東の外れの西春別(現別海町)の軍の飛行場で、米軍のグラマン機の攻撃に遭遇します。そのとき近くまで来たので目撃できた飛行士が、22歳の猿谷さんより若いだろう少年だったのです。「鬼畜米英」と叩き込まれてきた猿谷さん、「私は戦っている相手のことを、まったく知らないでいたのではなかったか。」と気づきます。そのときから、アメリカを知りたいという思いが湧き、生涯の仕事につながっていきました。
本書はは、ご本人の半世紀以上にわたるアメリカ心象風景をまとめたものです。戦争体験からはじまり、幾多の訪米交流の中で、得られたことを、エッセイ風にまとめています。アメリカに対する暖かな思いにあふれた本です。「(65年間)私は敵国としてアメリカと戦ったり、友好国の一員となってアメリカの大学で学んだり、またアメリカでの生活を通じてその賛美者となったり、批判者となってきたりした。」
(序章 アメリカは若い国か)
猿谷さん、2003年に米ブッシュ政権がイラク戦争をはじめたとき、緊急に10数人の人と、アメリカへのよびかけ「アメリカよ!」という本を編纂したそうです。その本のご本人の文章が、「アメリカよ美しく年をとれ」。そのときからの思いを、結実されました。
本文の最後はこうしめくくられています。
「拡大強化されたEUと、世界人口の5分の1を占める中国を含んだ東アジアが、アメリカと並んで「世界三強」となる日が近づいている。そのときこそアメリカは、美しく初老の時期を迎えなければならないのである。」
目配りとバランスのとれた内容です。偏らず広く見るということの大事さ、痛感させてくれました。しかしイラク戦争に関しては、アメリカにとってすでに重荷であり、継続が困難であることを、猿谷さんは指摘しています。多くの方がお読みになることを期待します。
以上 (UT)
2006年09月11日
おすすめします 品川正治「戦争のほんとうの恐さを知る 財界人の直言」
2006年7月「戦争のほんとうの恐さを知る 財界人の直言」(新日本出版社 本体1600円+税)を出版されました。
本日9月11日は、5年前にニューヨークでの大規模テロ事件が起きたと同じ日付です。それから世界は大きく「変わり」ました。さらに変わってもらうためには何が必要なのか。考えていく上でも示唆に富んだ「財界人の直言」をご紹介します。
「はじめに」で品川さんは、冒頭で次のように述べています。
「世の中の流れは、本当に速い。(中略)
この変化を無視して考え行動することは、もちろん出来ませんし、変化に自覚的に対応していくことは重要なことです。しかし、その場合も、確かな座標軸をもって激流を見分け、日本の進路を考えていくことが重要でしょう。
ーー日本の針路をみなさんが考える場合の座標軸は何かということをお話しするのが、この本の目的です。」
1944(昭和19)年12月に、20歳で兵隊として召集され、中国での戦争体験をされたことを、生々しく語っています。それが戦後を生き抜くうえで、大きな指針を与えたことがよくわかります。日本の中国やアメリカとの戦争で、日本人は3百万人、アジアの人たちは2千万人が亡くなりました。その痛苦の教訓からも現憲法が引き出されたとの思いを品川さんはっきり持って発言されています。
憲法九条を守ることの必要と大事さを、心の中から訴えており、説得力ある内容となっています。今の日本の中産階級は、日本の場合は税制とか財政でつくられた(185ページ)中産階級と発言していることは、衝撃的です。おねだりする中産階級にとどまっていることではなく、社会を支えるという自覚をもった階級、市民階級と呼ばれるものになってほしいという期待は、品川さんならではの指摘でしょう。
読みやすくわかりやすい語り口です。読んで考える、人と意見を交わしてみる、その大事さを教えてくれるものにもなっています。今82歳の品川さん、自分と同世代やそれ以上の人たちにも訴える以上に、より若い世代へのエールとする意気込みをこめています。「平和」があってこそ、生活も家も守られる、その「平和」とはなんでしょうか。
以上 (UT)
2006年09月09日
おすすめします 「憲法九条を世界遺産に」
題となった、「憲法九条を世界遺産に」は、「太田光の私が総理大臣になったらーー秘書田中」というテレビ番組のテーマづくりからでてきたもののようです(53ページ)。その表現に対して中沢氏が反応し、対談することとなりました。太田さんによれば、きっかけはジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」(岩波書店)を読んだことからでした。
宮沢賢治のその思想と行動に関して鋭いつっこみが太田さんから提起され、それに対する中沢さんの応答から対談ははじまっています。なぜ宮沢賢治からなのか。彼がかかえていた矛盾とは何か。それが日本国憲法とどう結びついていくことになるのか、どうして憲法九条が世界遺産に値すると考えているのか、対談をお読みになって、ぜひ味わっていただきたいものです。意表をつくスタートと展開、1965年生まれの太田さん、1950年生まれの中沢さん、おふたりの熱のこもった対論、まことに刺激的です。
太田さん、「醒睡笑」にある日蓮宗のお坊さんと浄土宗のお坊さんとの対立と和解の話を、中沢さんから聞いた後、こういっています。
「古典落語にあるような相手を許す笑いがなくなって、徹底的に相手を否定するという空気が充満しています。インターネットの書き込みなんて、『太田死ね』の連続ですから。」(112ページ)
匿名の影にかくれて、そのような書き込みをする人こそ一番に読んでほしい「憲法九条を世界遺産に」であることは確かです。
余談となりますが、宮沢賢治はまた、外国人にも大きな影響をおよぼしているようです。
日本文学研究者の中国人王敏(ワン ミン)さんの「謝々! 宮沢賢治」が朝日文庫(本体660円+税)でこの8月10年ぶりの再刊出版となりました。1954年生まれの王さんは、1982年文化大革命後中国初の日本文学研究の国費留学生として来日しました。現在、日本と中国の架け橋のひとりとして活躍しています。
王さんは1954年生まれ、四川外国語学院大学院院生時代、日本人教師石川一成氏の手作り教材で、宮沢賢治の「雨ニモマケズーー」と出会いました。
「石川先生の教えを受けながら、すでに私の内部では、『鬼』とばかり思っていた日本人観に少しずつ変化が起こっていた。しかし、この詩を読んだ瞬間、さらに決定的な確信が訪れた。日本人を見直す心の流れが、それこそ浪のように押し寄せてくるのを感じた。」(「謝々! 宮沢賢治」41ページ )
以上 (UT)
2006年08月29日
おすすめします 「オーマイニュースの挑戦」
韓国のインターネット新聞「オーマイニュース」が日本法人を設立、8月28日より「オーマイニュース日本版」を創刊しました。編集長にジャーナリスト鳥越俊太郎氏を起用、4月に氏と接触してからこの短期間でということなのであわただしいスタートともいえるでしょう。ソフトバンクが日本法人に出資ということも話題となりました。
登録した市民記者による実名での投稿、双方向のコミュニケーションをこことがけるという形は、本家と同様です。とりあえず1000人の市民記者で出発、ゆくゆくは数万人の記者体制にしていきたいとの構想です。関心をもって見守りたいことです。日本らしい形での自由闊達な意見交換の場が定着していくことになるなら、大きなインパクトになることも確かです。
2005年3月に太田出版よりその創業者の著作を日本語訳した「オーマイニュースの挑戦 ー韓国インターネット新聞事始め」が出版されていました。本体価格1800円+税です。
スタートさせ思いを実現させていったオ・ヨンホ氏の思い取り組みが、本人の熱い語り口で具体的に述べられています。世界のマスコミ人が注目したこともでており、大きなショックを与えた創業であることもわかるものとなっています。
この機会に目を通されるのも、理解を深める一助になるかもしれません。
以上 (UT) 060829
登録した市民記者による実名での投稿、双方向のコミュニケーションをこことがけるという形は、本家と同様です。とりあえず1000人の市民記者で出発、ゆくゆくは数万人の記者体制にしていきたいとの構想です。関心をもって見守りたいことです。日本らしい形での自由闊達な意見交換の場が定着していくことになるなら、大きなインパクトになることも確かです。
2005年3月に太田出版よりその創業者の著作を日本語訳した「オーマイニュースの挑戦 ー韓国インターネット新聞事始め」が出版されていました。本体価格1800円+税です。
スタートさせ思いを実現させていったオ・ヨンホ氏の思い取り組みが、本人の熱い語り口で具体的に述べられています。世界のマスコミ人が注目したこともでており、大きなショックを与えた創業であることもわかるものとなっています。
この機会に目を通されるのも、理解を深める一助になるかもしれません。
以上 (UT) 060829
2006年08月28日
おすすめします 森絵都「風に舞いあがるビニールシート」
第13回直木賞受賞のひとりが森絵都さんでした。「風に舞いあがるビニールシート」がその対象作です。
同名の本が文藝春秋から出されています(2006年5月刊 本体1400円+税)。内容は、6編の短編集(中篇ともいえるものもあります)、「別冊文藝春秋」に2005年3月号から2006年1月号まで掲載されたものです。「風に舞いあがる」はその中の最新のものであり、本には掲載順で一番最後におかれています。
「風に舞いあがるビニールシート」は、題からでは内容の予想がとくにつきにくいものでした。主人公は国連難民高等弁務官事務所(UNRCR)の東京事務所に勤める日本人女性里佳。転進してその職場を選ぶことになりましたが、さすがに多国籍な人たちが活動する職場で、彼女の活動に伴ってその雰囲気がつたわってきます。同じ職場のアメリカ人エドと結婚しましたが、結果として離婚。そのエドはアフガニスタンで1年前に亡くなっているという設定です。
世界の難民問題に対応する職場という困難な国際社会といやでも向き合わなければならない職場の中で、人とのつながり、自分自身の生き方をみつめる内容となっています。詳細は、関心ある方は、ぜひお読みいただけくのがよろしいでしょう。なにかさわやかな結末と言いたいのですが、それに対しても考えさせられてしまいました。
今回、はじめて森さんの著作を目にすることとなりました。6編それぞれ、多彩な舞台を設定し、意外性もある結末となっています。題材に関する資料や知識もきちんと読み込んだことも感じさせられ、手抜きのない短編集との印象を持ちました。
その中の一編「守護神」は、ある「社会人」大学生(夜間部)が、レポートを代理で書いてくれるという同じ学部の先輩大学生に会う話です。レポートの題材にしようとかいう「伊勢物語」「徒然草」について詳細な内容分析のふたりのやりとりがそのなかにあります。私も中学、高校時代のうろおぼえのわずかな知識を思い起こしましたが、とてもついていける内容ではありません。文学部でのきちんとしたレポートというものは、ただ書きなぐったのではだめということも、はじめて知りました。メルヘンといえる小品ですが、著者の気持ちの若々しさ、青春をいとおしく思う気持ち、私にも伝わりました。
以上 (UT)
同名の本が文藝春秋から出されています(2006年5月刊 本体1400円+税)。内容は、6編の短編集(中篇ともいえるものもあります)、「別冊文藝春秋」に2005年3月号から2006年1月号まで掲載されたものです。「風に舞いあがる」はその中の最新のものであり、本には掲載順で一番最後におかれています。
「風に舞いあがるビニールシート」は、題からでは内容の予想がとくにつきにくいものでした。主人公は国連難民高等弁務官事務所(UNRCR)の東京事務所に勤める日本人女性里佳。転進してその職場を選ぶことになりましたが、さすがに多国籍な人たちが活動する職場で、彼女の活動に伴ってその雰囲気がつたわってきます。同じ職場のアメリカ人エドと結婚しましたが、結果として離婚。そのエドはアフガニスタンで1年前に亡くなっているという設定です。
世界の難民問題に対応する職場という困難な国際社会といやでも向き合わなければならない職場の中で、人とのつながり、自分自身の生き方をみつめる内容となっています。詳細は、関心ある方は、ぜひお読みいただけくのがよろしいでしょう。なにかさわやかな結末と言いたいのですが、それに対しても考えさせられてしまいました。
今回、はじめて森さんの著作を目にすることとなりました。6編それぞれ、多彩な舞台を設定し、意外性もある結末となっています。題材に関する資料や知識もきちんと読み込んだことも感じさせられ、手抜きのない短編集との印象を持ちました。
その中の一編「守護神」は、ある「社会人」大学生(夜間部)が、レポートを代理で書いてくれるという同じ学部の先輩大学生に会う話です。レポートの題材にしようとかいう「伊勢物語」「徒然草」について詳細な内容分析のふたりのやりとりがそのなかにあります。私も中学、高校時代のうろおぼえのわずかな知識を思い起こしましたが、とてもついていける内容ではありません。文学部でのきちんとしたレポートというものは、ただ書きなぐったのではだめということも、はじめて知りました。メルヘンといえる小品ですが、著者の気持ちの若々しさ、青春をいとおしく思う気持ち、私にも伝わりました。
以上 (UT)
2006年08月24日
おすすめします 沢田猛「カネト −炎のアイヌ魂」
沢田猛「カネト −炎のアイヌ魂」(ひのくま出版 1983年刊 本体価格1500円+税)は、1983年出版以来、ロングセラーを続けています。静岡県の出版社によるアイヌを主人公とした児童文学のノンフィクションです。
著者の沢田さんは、新聞記者として静岡支局も勤務していました。その間の1980年に、鉄道建設に伴うアイヌ測量隊の話を聞いたことが、きっかけとなりました。愛知県と長野県を結ぶ鉄道が完成するためには、難所天竜峡の測量と工事が不可欠でした。それは1932(昭和7)年に達成されたのです。完成に貢献したアイヌ集団の存在とリーダーの川村カネトの存在が、現地でも埋もれていた状態だったのです。そのことを残念に思う本田さん、今村さんといった人の歴史の掘り起こしと、戦後になっての記念事業への川村さんの北海道からの招聘がありました。
沢田さんはそれらのことに深い印象を受け、生前の川村さんと会う機会がなかったにもかかわらず、たんねんな取材調査で、本としました。工事にとりかかる立場になるカネトさんの旭川での生い立ち、技術者としての成長も、良くまとめられています。その川村カネトさんは、旭川市の川村カ子ト(カネト)アイヌ記念館を建設し、子供さんが、それを引きついていまにいたっています。
9月1日公開予定、ウェブマガジン・カムイミンタラ9月号特集が、「民族文化の伝承を進取の気性で 旭川・川村カ子トアイヌ記念館」です。あわせお読みいただければ幸いです。
以上 (UT)
著者の沢田さんは、新聞記者として静岡支局も勤務していました。その間の1980年に、鉄道建設に伴うアイヌ測量隊の話を聞いたことが、きっかけとなりました。愛知県と長野県を結ぶ鉄道が完成するためには、難所天竜峡の測量と工事が不可欠でした。それは1932(昭和7)年に達成されたのです。完成に貢献したアイヌ集団の存在とリーダーの川村カネトの存在が、現地でも埋もれていた状態だったのです。そのことを残念に思う本田さん、今村さんといった人の歴史の掘り起こしと、戦後になっての記念事業への川村さんの北海道からの招聘がありました。
沢田さんはそれらのことに深い印象を受け、生前の川村さんと会う機会がなかったにもかかわらず、たんねんな取材調査で、本としました。工事にとりかかる立場になるカネトさんの旭川での生い立ち、技術者としての成長も、良くまとめられています。その川村カネトさんは、旭川市の川村カ子ト(カネト)アイヌ記念館を建設し、子供さんが、それを引きついていまにいたっています。
9月1日公開予定、ウェブマガジン・カムイミンタラ9月号特集が、「民族文化の伝承を進取の気性で 旭川・川村カ子トアイヌ記念館」です。あわせお読みいただければ幸いです。
以上 (UT)
2006年08月18日
おすすめします 下嶋哲朗「平和は『退屈』ですか」
1941年生まれのノンフィクション作家下嶋哲朗さんが、「平和は『退屈』ですか 元ひめゆり学徒と若者たちの500日」(岩波書店 2006年6月刊 本体価格1500円+税)を出版しました。
本人が、2004年に沖縄県で「虹の会」つくり、約500日の間活動を続けました。高校生大学生といった若者たちと、ひめゆり平和祈念資料館の語り部たちの交流の会です。きっかけが下嶋さんが2003年6月22日に元ひめゆり学徒隊員などの話を聞いた高校生が「言葉がこころに届かない」と発言がきっかけとなりました。
戦争体験を語り継ぐということが、どのようなすれば可能なのだろうかという試行がはじめられ「虹の会」の結成と、学びの継続となりました。結果としては戦争体験者の思いや体験は、戦争体験のない人にもひきつかれ、語り部に育つことは可能であることを示した実践例になったのです。
どのようにして、どの点がかみあうことになったのか、という点はぜひお読みになって知ってほしいことです。試行錯誤の答えを、ここに書くというのでは、著者の思いをきちんと伝えることにはならないでしょうから。私も、そんなことかと驚きました。
若者達、ひめゆり学徒たちの、多彩多様な発言が収録されており、その発想の豊さ、気持ちの広さも、私は驚くばかりでした。沖縄にいる3人の外国人留学生もインタビューで登場し、なお内容に奥行きを与えています。考えることに裏打ちされた言葉の力とは大きなものということ、しっかり認識しました。
「戦争を語り継ぐ」ということは、可能なのか、どんな意味があるのか、改めて考えさせてくれる内容です。内容は重いものがありますが、楽しく面白く、虹の会参加者が体験実感したことを伝えてくれています。しかし、著者はたいへん苦労をして、このようにまとめたに違いありません。その努力心意気も伝わります。
以上 (UT)
本人が、2004年に沖縄県で「虹の会」つくり、約500日の間活動を続けました。高校生大学生といった若者たちと、ひめゆり平和祈念資料館の語り部たちの交流の会です。きっかけが下嶋さんが2003年6月22日に元ひめゆり学徒隊員などの話を聞いた高校生が「言葉がこころに届かない」と発言がきっかけとなりました。
戦争体験を語り継ぐということが、どのようなすれば可能なのだろうかという試行がはじめられ「虹の会」の結成と、学びの継続となりました。結果としては戦争体験者の思いや体験は、戦争体験のない人にもひきつかれ、語り部に育つことは可能であることを示した実践例になったのです。
どのようにして、どの点がかみあうことになったのか、という点はぜひお読みになって知ってほしいことです。試行錯誤の答えを、ここに書くというのでは、著者の思いをきちんと伝えることにはならないでしょうから。私も、そんなことかと驚きました。
若者達、ひめゆり学徒たちの、多彩多様な発言が収録されており、その発想の豊さ、気持ちの広さも、私は驚くばかりでした。沖縄にいる3人の外国人留学生もインタビューで登場し、なお内容に奥行きを与えています。考えることに裏打ちされた言葉の力とは大きなものということ、しっかり認識しました。
「戦争を語り継ぐ」ということは、可能なのか、どんな意味があるのか、改めて考えさせてくれる内容です。内容は重いものがありますが、楽しく面白く、虹の会参加者が体験実感したことを伝えてくれています。しかし、著者はたいへん苦労をして、このようにまとめたに違いありません。その努力心意気も伝わります。
以上 (UT)
2006年08月09日
おすすめします シンディ・シーハンとキャンプ・ケイシーについての出版
今、イスラエルが、パレスチナどころか、レバノンにも武力侵攻、たいへんな事態が中東にまた起きました。これに対してアメリカ政府はイスラエルの行動を阻止しようという態度を、いまのところ示していません。イスラエルの支援者としての行動を引き続き世界にしめしています。
7日のアラブ緊急外相会議は、レバノン提案の停戦案を支持し、国連安全保障理事会に代表を送ることとなりました。イスラエル軍撤退を前提にし、それを盛り込んでいない米仏案の停戦案の修正を求める姿勢です。
イラク戦争開始以来のイラク情勢、ますます深刻化の一途です。そのうえの事態、アラブ世界の気持ちや考えを納得させるものでは到底ないようです。石油の供給、価格への波及も懸念される問題であることも間違いありません。
8月6日から、テキサス州クロフォード市で、シンディ・シーハンさん(イラク戦争で息子ケイシーを失い、イラク戦争からのアメリカ撤退を主張するようになった母親)が、2005年に続く2度目の「キャンプ・ケイシー」をはじめたそうです。
昨2005年同地ブッシュ大統領所有の農場で、夏季休暇中のブッシュ氏に面会を求めておもむき、拒絶されたことがありました。面会をもとめるため、息子の名をつけた「キャンプ・ケイシー」を支援者などの協力で開設、マスコミでも大きく報道されました。
今回は土地もしっかり確保し、9月2日までとか。これではブッシュ大統領もおちおち滞在できないでしょう。イラク戦争反対の行動の象徴的な意味づけと、ご本人も支援者も考えているのでしょうか。
「わたしの息子はなぜイラクで死んだのですか シンディ・シーハン 平和への闘い」という本(大月書店 本体価格1400円 税別)がこの7月に翻訳されて出版されていました。
2005年8月の26日間のキャンプ・ケイシーがどのようなものであったか、よく伝えてくれるものとなっています。現地でのキャンプについての賛成反対を広くとりまとめて紹介、アメリカの市民たちの意見感覚行動、よく知ることができました。ふところの広さはさすがアメリカ合衆国(合州国)なのでしょうか。あわせて、シーハンさんの行動に賛成する人たちの幅広さ多様さも、驚くばかりです。よくても悪くても国論を二分する問題というものは、こういうものなのでしょう。
地元週刊新聞社のレオン・スミス編著のものでした。原題は The Vigil
で、寝ずの番とか見張りという意味のようです。その新聞社ローンスター・イコノミスト社はなかなかユニークな会社であることもよくわかります。その点についてもおすすめできる内容です。
この本には、日本語版出版に際してのシーハンさんの言葉も最初に添えられていました。
「日本の友人たちへ
去年の夏、私たちはジョージ・ブッシュの牧場近くで
平和を求めて集いました。それに連動して、
いくつもの平和を求める集いが開かれたことを、
私はとても光栄に思いました。
日本の皆さんにもこの本を楽しんでいただくとともに、
私たちが夢中で過ごした26日間のことを
知っていただければ幸いです。
つねに平和を求めて!
シンディ・シーハン」
以上 (UT)
7日のアラブ緊急外相会議は、レバノン提案の停戦案を支持し、国連安全保障理事会に代表を送ることとなりました。イスラエル軍撤退を前提にし、それを盛り込んでいない米仏案の停戦案の修正を求める姿勢です。
イラク戦争開始以来のイラク情勢、ますます深刻化の一途です。そのうえの事態、アラブ世界の気持ちや考えを納得させるものでは到底ないようです。石油の供給、価格への波及も懸念される問題であることも間違いありません。
8月6日から、テキサス州クロフォード市で、シンディ・シーハンさん(イラク戦争で息子ケイシーを失い、イラク戦争からのアメリカ撤退を主張するようになった母親)が、2005年に続く2度目の「キャンプ・ケイシー」をはじめたそうです。
昨2005年同地ブッシュ大統領所有の農場で、夏季休暇中のブッシュ氏に面会を求めておもむき、拒絶されたことがありました。面会をもとめるため、息子の名をつけた「キャンプ・ケイシー」を支援者などの協力で開設、マスコミでも大きく報道されました。
今回は土地もしっかり確保し、9月2日までとか。これではブッシュ大統領もおちおち滞在できないでしょう。イラク戦争反対の行動の象徴的な意味づけと、ご本人も支援者も考えているのでしょうか。
「わたしの息子はなぜイラクで死んだのですか シンディ・シーハン 平和への闘い」という本(大月書店 本体価格1400円 税別)がこの7月に翻訳されて出版されていました。
2005年8月の26日間のキャンプ・ケイシーがどのようなものであったか、よく伝えてくれるものとなっています。現地でのキャンプについての賛成反対を広くとりまとめて紹介、アメリカの市民たちの意見感覚行動、よく知ることができました。ふところの広さはさすがアメリカ合衆国(合州国)なのでしょうか。あわせて、シーハンさんの行動に賛成する人たちの幅広さ多様さも、驚くばかりです。よくても悪くても国論を二分する問題というものは、こういうものなのでしょう。
地元週刊新聞社のレオン・スミス編著のものでした。原題は The Vigil
で、寝ずの番とか見張りという意味のようです。その新聞社ローンスター・イコノミスト社はなかなかユニークな会社であることもよくわかります。その点についてもおすすめできる内容です。
この本には、日本語版出版に際してのシーハンさんの言葉も最初に添えられていました。
「日本の友人たちへ
去年の夏、私たちはジョージ・ブッシュの牧場近くで
平和を求めて集いました。それに連動して、
いくつもの平和を求める集いが開かれたことを、
私はとても光栄に思いました。
日本の皆さんにもこの本を楽しんでいただくとともに、
私たちが夢中で過ごした26日間のことを
知っていただければ幸いです。
つねに平和を求めて!
シンディ・シーハン」
以上 (UT)