2012年01月16日

ふきのとう文庫創設者 小林静江さん

ふきのとう文庫創設者の小林静江さんが、今北海道新聞夕刊の「私のなかの歴史」で1月11日より「障害児に読書の喜びを」で登場しています。

「ふきのとう文庫」続いていますが、カムイミンタラでも特集(1987年5月号 通巻20号)で取り上げています。地道な子どもたちへの努力が継続され広がっていることを、道新で確認できることはうれしいことです。静江さんの生い立ちと社会人としての生活、結婚と子ども文庫への歩みが5回まででも、かってなく読みやすい形で発表の場を与えられました。

なお、支え手の一人であった故・小林金三さんは、1985年11月号で随想寄稿者として、また2005年5月号特集「創成川ルネサンス」に創成川を市民のものへの活動に活動に携わる人として、登場しています。

2012年1月16日 室長

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2011年09月29日

「私たちはヒバクシャになりました」

9月19日東京で「さようなら原発」集会が開催され、6万人以上が参加したそうです。

呼びかけ人の大江健三郎さんをはじめ多くの方のスピーチがありました。各種報道、動画などで紹介されています。

そのなかで福島のハイロアクションの武藤類子さんのスピーチもあります。その内容が心をうつもので注目されています。私も読みましたが、そのなかの一文に「3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャになりました」とありました。

ヒロシマ、ナガサキに続きフクシマでも「ヒバクシャ(被爆者)」がでてしまいました。当の福島の人が、それを語っているのです。ハイロアクションは2010年10月に結成された、建設40年となる東電福島原子力発電所第1号炉を廃炉にさせようと、声をあげた地元の人による団体です。そのホームページに武藤さんのスピーチ「ふくしまの想いを、ひとりでも多くの方に、伝えたい」の全文がのっています。ぜひお読みいただくべき内容と受け止めました。こんなにひどい仕打ちを受けながら、武藤さんは「私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう」としめくくっています。

カムイミンタラ第94号(1999年9月号)に北海道被爆者協会会長の越智晴子さんが「友はよきもの」と題した随想を寄せています。神戸大空襲と広島での原爆被爆の体験をお持ちの越智さん、生き抜いてきた道のりをふりかえり、支えてくれる人のありがたさすばらしさを、静かに語っています。

2011年9月29日 室長

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2011年07月15日

映画「赤い夕陽の爺yulie( ジュリー)」

むかわ町の高齢者による映画製作団体「田んぼdeミュージカル委員会」は、2001年から映画監督崔洋一氏の指導を受けながら、地元出演者による映画づくりを続けてきました。現在のメンバー約80人の平均年齢は78歳だそうです。

最新作第4作を完成させたことが北海道新聞7月15日朝刊に報じられました。題は「赤い夕陽の爺yulie(
ジュリー)、14日同町で地元上映会が開かれたそうです。あらすじは「電力利権に揺れる山村の姿をユーモアを交えて描いたもの」とか。残念なことに最終作と銘打っているとか。

カムイミンタラ2005年3月号(通巻122号)特集が、同委員会の映画づくりを取り上げています。1作のこと、2作目のことなどの内容です。今後にも気持ち思いが何らかの形で引き継がれていってほしいものと思いました。

札幌のシアターキノで7月16日から22日まで皮切りの上映となっています。

2011年7月15日 室長




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2011年07月12日

自衛官人権訴訟で静岡地裁浜松支部、自衛官自殺で国に賠償命令

7月11日、静岡地裁浜松支部は、2005年11月にに航空自衛隊浜松基地に勤務していた3等空曹の男性(当時29歳)の遺族が起こした訴訟に対して、訴えを認め国に賠償命令の判決(中野琢郎裁判長)を出しました。判決内容では、「先輩隊員の指導に行き過ぎがあり、自殺との間に因果関係があることは明らか」といじめを認定し、国側の主張「男性の私生活などが原因」とする主張を退けました。

訴えた遺族が、男性の両親と妻だそうです。父親が元自衛官であるそうですから、なおさら重い提起を行ったことになります。息子も自衛隊でがんばってほしいとの気持を持っていた父に違いなかったでしょうから。

カムミンタラ2010年11月号(通巻150号)特集が、「女性自衛官人権訴訟 原告と弁護団の3年3ヶ月」です。その特集のなかに、2010年3月に自衛官人権訴訟の全国弁護団が札幌で結成されたことも報じられており、浜松基地訴訟もそのなかに含まれています。人権侵害という点で、いくもの訴訟が起こされていたのです。

女性自衛官訴訟は、2010年札幌地裁で勝訴確定で終わりました。今回の静岡地裁浜松支部判決、それに続く、人権訴訟の成果といえるかもしれません。無理な引き伸ばしとなるような国側の控訴のないことを願うものです。

2011年7月12日 室長

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2011年05月27日

十勝の児童詩誌「サイロ」50周年 テレビ放映

1960年に誕生、50周年をむかえる十勝の児童詩誌「サイロ」ですが、このたび5月28日北海道テレビ(HTB)の番組で全道放送されることになりました。北海道新聞(道新)5月25日夕刊で紹介されています。

5月28日午後4時から、「HTBノンフィクション『先生、あのねーー』〜詩集『サイロ』の50年〜」です。

「サイロ」は帯広千秋庵(現六花亭)の企業文化活動の一環ではじまりました。福島県郡山市の同業の菓子店「柏屋」が児童詩誌「青い窓」発行しており、それを当時の小田豊四郎社長が知ったことがきっかけとなりました。表紙には坂本直行さんの絵を登用、十勝管内の教員たちが編集して継続してきました。現在は「NPO法人小田豊四郎記念基金 児童詩誌 サイロの会」が編集発行しています。

カムミンタラの特集で、「サイロ」をとりあげ、紹介したことがあります。以降現在に至るまでの継続努力もたいへんなものがあったでしょう。

東北関東大震災で柏屋さんも影響を受けました。六花亭が道内店舗で柏屋の製品を扱って支援とのことも道新ですでに報じられています。「サイロ」への縁、ひろがりとつながりを持って今に至っているのです。

2011年5月27日 室長

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2011年05月07日

菅首相、中部電力浜岡原発運転停止要請

5月6日、菅直人総理大臣が緊急記者会見を行い、浜岡原子力発電所の運転停止を中部電力に要請しました。現在運転中の原発です。

想定される東海大地震の地域内ど真ん中、しかも活断層の真上という条件が、政府もその決断に踏み切らせたようです。老朽原発でもあり、耐震性がもっとも懸念されるものでした。運転停止を求める声も実に30年前からあり、現在差止訴訟中の原発でした。

川勝静岡県知事は、東北・関東大震災以来、浜岡原発の危険性とその運転停止の意見を持ってきました。7日朝7時のNHKテレビニュースで、ご本人は「大英断に共感する」と発言しています。

とうとうここまで来た、とそれらのニュースを受け止めることになりました。これからさまざまなジグザクあるでしょうが、「脱原発」の流れは動き出したと思いました。

カムイミンタラを「原発」で検索したところ、7つでました。そのうちひとつだけは難病の病名についた「原発性」だらですから、これは違います。他の6個は、原子力発電所の原発です。随想の中、特集の中とさまざまですが、押さえたなかにも注意して見ていかなくてはと言う点では共通していました。原発というものの重みを改めて感じさせられました。

2011年5月7日 室長

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