2007年09月29日

おすすめします 中村義「川柳のなかの中国」

日本経済新聞文化欄に中村義(なかむら・ただし)さんが、戦前の川柳からみた日本と中国ということについて寄稿をされていたことは8月27日のこのブログで紹介しています。その中村さんのまもなく出版すると述べられていた本がわかりました。

「川柳のなかの中国 −日露戦争からアジア・太平洋戦争までー」(岩波書店 税別本体価格3600円)でした。中村さんの熱意が伝わる力作です。

いわゆる江戸期の「古川柳」に対して、現代につながる「新川柳」は、1903(明治36)年7月3日新聞「日本」に「新題柳樽」という川柳の時事句欄が設けられたことによるようです(同書36ページ)。担当が井上剣花坊でした。正岡子規が俳句短歌の革新を主張する舞台となった「日本」が、川柳革新でも大きな役割を果たしたことを教えられました。当時の編集長古島一雄(こじま・かずお)の発想と着眼がそのスタートになっています。言論人古島は、立憲主義政党人としても貫き、戦後1952(昭和27)年に86歳の生涯を終えました。

中村さんは「第6章翻弄される人々」のなかで、第13期海軍飛行予備学生(特攻隊)に1項を割き、1952年に遺族会の手で刊行された「雲ながるる果てに −戦歿飛行予備学生の手記」のなかに掲載された学生4人による合作百句川柳に言及しています。

「−−戦没学徒兵の遺書については他にも類書がある。収録されている遺書には、決別の心境を書き残した詩や短歌は比較的目につくが、こと川柳になると、この合作百句のみと思われる。したがって、近代川柳史上、すぐれて希少価値は高く、戦中期川柳として後世に語り伝えるべき不滅の時事吟である。」(同 235ページ)

及川肇(盛岡高工)、遠山善雄(米沢高工)、福地貴(東京薬専)、伊熊二郎(日本大学)の4人(全員23歳)が、鹿児島の特攻基地で出撃の前、川柳の合作を行いました。そして全員1945年4月に戦死しています。それがよく残されていて、またよく収録されたものです。

百句の冒頭が「生きるのは良いものと気がつく三日前」。そして次のような句もある若者たちでした。

「ジャズ恋し早く平和が来ればよい」
「アメリカと戦ふ奴がジャズを聞き」
「特攻のまずい辞世を記者はほめ」
「勝敗はわれらの知った事でなし」
「必勝論必敗論と手を握り」

また、中村さんによれば、土浦の陸上自衛隊武器学校内に海軍飛行予科練出身戦没者の記念館があり、そこにも飛行予科練習生鈴木丈司の一句が残されているそうです。(同 242ページ)

「七洋に桜花飛込む水の音」

今の理解感覚も踏まえた光を、中村さんは5人とその作品に当てました。「温故知新」という言葉を思い起こすこととなりました。

2007年8月は1757年に川柳が発祥して250年(あとがき)だそうです。まさにそれにふさわしい出版といえそうです。

以上 (UT) 070929





posted by kamuimintara at 14:45| 北海道 ????| Comment(0) | TrackBack(2) | おすすめします。
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