地元小樽で小林セキさんとも親しかった小林廣氏が、セキさんからの聞き書きをまとめ、出版の意向を持っていました。戦後まもなくのことです。しかし出版にいたらず、その原稿が長らく埋もれていたのでした。多喜二の研究家でもある小樽商大教授荻野富士夫氏が、再発見、関係者の遺族にも了解をとり、60年余の年月を経て初めて出版されました。
荻野氏の解説は懇切なもので、口述内容や編者の努力などに触れ、理解を助けてくれます。荻野氏にとっても感慨深い出版への協力となったのではないでしょうか。また荻野氏は「小林多喜二の手紙」(岩波文庫)の編者であり、今回の「母の語る小林多喜二」で多喜二像をさらに掘り下げてくれました。
小林セキさんは、私にはふたつの言葉で印象に残っている人です。特高による拷問死となった多喜二の遺体と対面した時の言葉、「それ、もう一度立たねか、みんなのためにもう一度立たねか」がそのひとつです。もおうひとつは、書き残した言葉、「ああ、またこの2月が来た。本当にこの2月という月が嫌な月、声を一杯に泣きたい どこへいっても泣かれない。ああ でもラジオで少し助かる ああ涙がでる めがねがくもる」(原文はほどんどかながき)でした。
戦前のプロレタリア作家小林多喜二は、近年になって、三浦綾子の小説「母」、ノーマ・フィールドの多喜二研究、荻野富士夫の「小林多喜二の手紙」などで、人間像も含めて新たな陽を当てられてきました。それもあってか彼の「蟹工船」が近年ベストセラーとなりました。
「母の語る小林多喜二」は、人間らしい多喜二と、多喜二の行動を見守った母親とを、改めて伝えてくれるものとなりました。私の一面的な多喜二像、セキ像を豊かにしてくれました。十分とか満足にとかは、とても言えた柄ではありません。でもかなりの具体的なイメージを与えてくれました。
カムイミンタラ2005年9月号(通巻125号)では、特集「多喜二の『未完成性』が問いかけるもの」です。ノーマ・フィールドさんが小林多喜二を語っています。これも目を通していただけると幸いです。
2011年8月6日 UT