月刊文芸誌「すばる」(集英社)の2月号で、作家大江健三郎氏が「『人間をおとしめる』とはどういうことか −沖縄『集団自殺』裁判に証言して」と題する文章を発表しています。昨年大阪地裁で意見陳述したことに関してのものです。
現在、大江氏は、「沖縄ノート」(1970年9月岩波新書で刊行、その以前の雑誌「世界」の連載をまとめたもの)に関して、発行元の岩波書店とともに名誉毀損裁判の被告となっています。原告が、第2次世界大戦中の沖縄戦で、渡嘉敷島の旧守備隊長の実弟赤松秀一氏、座間味島の旧守備隊長梅澤裕氏だそうです。2005年8月5日に大阪地裁に訴えは起こされました。
大江氏は原告側の意図を次のように理解しています。
「つまり渡嘉敷島と座間味島の集団自殺をとげた老若男女について、かれら彼女らについて、かれら彼女らのことを『国に殉じるという美しい心で死んだ人たち』だと言い張り、幼児らもふくむかれら彼女らの集団自殺が、軍の命令で強制されたものではなく、自発的に行われる、みずから望んだ『死の清らかさ』のものであった、と歴史に書き込み、これからの日本人をあらためてその方向へ教育しようとする者らの、退屈なほど単純な企てで、この訴訟があったこと、あり続けていることーーー
これに対して、そのような企てに参加する者らこそが、人間と言う普遍的な価値をおとしめている、という自分の証言ーーー」(同誌 26ページ)
全体として、証言の姿勢で積極的に、今後も生き仕事をしていこうという大江氏の気持ちがよくつたわる文章でした。彼の文章はこれまで私にはとっつきづらく、そのこともありファンでもなく、十分な理解者でもありませんでした。しかしこれは、私にも思いを受け止めさせるものでした。
海軍の特攻隊の若者でさえ、「生きるのは良いことと気がつく三日前」という絶唱を残しています。「もう死んだ者たちは彼らの『清らかな死』のうちに憩わしめよ」(27ページ)という原告側の飾り立てた言い分を理解しがたいとする人は、決して大江氏ばかりではないでしょう。
集団自決記述についてのうやむやにしようとした教科書検定意図は、事実を知る沖縄県民の怒りに、修正をやむなくされました。歴史の歪曲は許さないとの気持は大きく存在しています。
そして今、米軍基地が我が物顔に存在する沖縄で、米兵による少女暴行事件がまた沖縄で発生しました。沖縄戦が終わっても、複雑な状況にある沖縄です。歴史から学んでいる沖縄の人たちは、また改めてのといかけを、我々にも行っていくでしょう。それを受け止められる自分でもありたいと思います。
以上 (UT) 080215

