2006年09月25日

9月21日東京地裁判決、「国旗国歌強制は違憲」

9月21日、東京地裁(難波孝一裁判長)、東京都立高校などの教職員が都と都教委を相手に起こしていた訴訟で、「国旗国歌強制は違憲、思想良心の自由侵害」とし、原告側全面勝訴の判決を言い渡しました。

訴えは、「入学・卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱に従う義務がないことの確認と、都教委による懲戒処分の禁止」を求めたものでした。

判決は「国旗掲揚の歳の起立や国歌斉唱の義務がないことを認め、通達や校長の命令に従わなくても、懲戒処分をしてはならないと都教委に命じた。その上で都教委と都に対し、『原告に精神的苦痛を与えた』として、一人当たり3万円の慰謝料の支払いを命じた。」(9月22日北海道新聞朝刊)です。

国旗国歌法が制定され、「日の丸」「君が代」がそう位置づけられました。本来強制が伴うものではないということが、法成立時の政府答弁でした。しかし、その後、教育現場での「日の丸」「君が代」強制が文部科学省、教育委員会などにより全国で進められている現実があります。その典型が、石原慎太郎都知事を先頭とする東京都の学校現場でした。踏み込んだ通達を出し、反対の声を上げる教員への処分を強行してきました。今回の判決は大きな一石を投じたことになります。

国旗国歌ということ、「日の丸」「君が代」ということ、一筋縄でいくものでも片付けられるものではありません。それぞれが考えること、語り合ってみることが今後さらに必要のようです。

カムイミンタラ2002年5月号(アーカイブズ所収)に「19年ぶりの卒業式」という随想があります。弁護士渡辺達生さんの「19年ぶりの卒業式」と題した寄稿です。卒業した高校の卒業式に「君が代」問題がもちあがり、渡辺さんはそれにかかわることとなりました。「今の若者は捨てたものではない」と渡辺さんしめくくっています。

以上 (室長)
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2006年09月21日

沢田教一さんの写真「安全への逃避」と今

カメラマン沢田教一さん(1936−1970年)が、1965年9月に撮影した写真「安全への逃避」は、66年に米ピュリツァー賞を受賞しました。

「安全への逃避」は、ベトナム中部で必死に川をわたる母親2人とその子供たち3人が写されています。ベトナム戦争が進行するなか、戦火のなまなましさを伝える印象的な写真です。沢田カメラマンの評価をいっぺんにあげました。当時私自身にも、強いショックを与えたこと、その記事でよみがえりました。

ベトナム戦争は、アメリカによる大義なき戦争でした。米軍による枯葉剤の散布は、いまなお深刻な被害を与えています。これは米軍兵士にも大きな被害を与えたものであったこと、あとではっきりしました。戦争自体は、「南ベトナム政権」を支えると称した米軍が敗北撤退することで終結、南北ベトナムの統一と今につながっています。

9月20日朝日新聞朝刊、柴田直治記者が、そのときの子供たち、アインさん(56歳)、リエンさん(49歳)兄妹と、ホエさん(43歳)の近況を報じていました。それぞれの母親はすでに亡くなりましたが、3人は健在、元気に写真に写っていました。ほっとさせる記事でした。
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2006年09月19日

おすすめします 猿谷要「アメリカよ、美しく年をとれ」

1923(大正12)年生まれの、アメリカ史専攻の歴史学者猿谷要(さるたに・かなめ)さんが、「アメリカよ、美しく年をとれ」(岩波新書 2006年8月刊 本体700円+税)を出版しました。

猿谷さんは、日本人としての本格的なアメリカ史研究者として、もっとも早く取り組まれた人です。猿谷さん、こんな体験をしながら研究者となっていきました。旧制の仙台の第2高等学校での西洋史はフランスやドイツ中心、戦後まもなくの東大の西洋史学科でも、アメリカの歴史を教えてくれる先生が一人もいませんでした。

1945年7月上旬北海道の東の外れの西春別(現別海町)の軍の飛行場で、米軍のグラマン機の攻撃に遭遇します。そのとき近くまで来たので目撃できた飛行士が、22歳の猿谷さんより若いだろう少年だったのです。「鬼畜米英」と叩き込まれてきた猿谷さん、「私は戦っている相手のことを、まったく知らないでいたのではなかったか。」と気づきます。そのときから、アメリカを知りたいという思いが湧き、生涯の仕事につながっていきました。

本書はは、ご本人の半世紀以上にわたるアメリカ心象風景をまとめたものです。戦争体験からはじまり、幾多の訪米交流の中で、得られたことを、エッセイ風にまとめています。アメリカに対する暖かな思いにあふれた本です。「(65年間)私は敵国としてアメリカと戦ったり、友好国の一員となってアメリカの大学で学んだり、またアメリカでの生活を通じてその賛美者となったり、批判者となってきたりした。」
(序章 アメリカは若い国か)

猿谷さん、2003年に米ブッシュ政権がイラク戦争をはじめたとき、緊急に10数人の人と、アメリカへのよびかけ「アメリカよ!」という本を編纂したそうです。その本のご本人の文章が、「アメリカよ美しく年をとれ」。そのときからの思いを、結実されました。

本文の最後はこうしめくくられています。
「拡大強化されたEUと、世界人口の5分の1を占める中国を含んだ東アジアが、アメリカと並んで「世界三強」となる日が近づいている。そのときこそアメリカは、美しく初老の時期を迎えなければならないのである。」

目配りとバランスのとれた内容です。偏らず広く見るということの大事さ、痛感させてくれました。しかしイラク戦争に関しては、アメリカにとってすでに重荷であり、継続が困難であることを、猿谷さんは指摘しています。多くの方がお読みになることを期待します。

以上 (UT)
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2006年09月18日

第14回非同盟諸国首脳会議

キューバの首都ハバナで開催されていた、第14回非同盟諸国首脳会議(117カ国・1機構)は、9月17日に総括文書などを採択して終わりました。次回首脳会議は2009年にエジプトで開催予定。

イランやベネズエラの首脳も出席し、活発な議論が行われたようです。採択された内容には、米国の単独行動主義への批判が反映されたとマスコミが報道しています。イラン原子力開発への支援やレバノン政府と国民の支援も打ち出したようです。

米国が今世界からどう見られているか、うかがえる内容となりました。今後国際社会へ与える影響も小さくないようです。米国によるキューバのへの経済制裁の即時解除も訴えていることにもそれは反映されています。

長くなりそうなので、先にローマ法王のこと、これで非同盟諸国首脳会議にふれることとしました。国際的に大きな出来事ですから。

以上 (室長)
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ローマ法王、イスラム教への言及演説に関して謝罪?

イスラム教徒がローマ法王を非難批判しています。

キリスト教カトリック教会のローマ法王ベネディクト16世が、9月12日ドイツでの演説でイスラム教の「ジハード(聖戦)」を「批判」したとされたからです。それに対してのイスラム社会から大きな反発がでました。情報社会であっというまに世界に情報が伝わることから、瞬時に世界的な動きとなりました。

具体的な演説内容も反発内容もわかっているわけではありません。しかし、発言の大きな影響力のある宗教指導者が、他宗教が誤解するような発言を行うということは、不用意のレベルを通り越しています。ましてや、イラク、レバノンの今の事態からいっても、火に油を注ぎかねない問題です。

ローマ法王は、17日信者へむけての定例の集会で、直接釈明し,遺憾の意を表明したとの報道がなされました。適切な対応であって、謝罪と認められ、反発が収まることを望む気持ちです。

以上 (室長)
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2006年09月11日

おすすめします 品川正治「戦争のほんとうの恐さを知る 財界人の直言」

b.jpeg品川正治(しながわ・まさじ)さん、1924年生まれ、兵隊で戦傷体験を持ち、戦後派経済人として日本興亜損保(旧日本火災)の社長・会長を勤められました。経済同友会でも副代表幹事・専務理事も歴任されました。現在経済同友会終身幹事、国際開発センター会長です。

2006年7月「戦争のほんとうの恐さを知る 財界人の直言」(新日本出版社 本体1600円+税)を出版されました。

本日9月11日は、5年前にニューヨークでの大規模テロ事件が起きたと同じ日付です。それから世界は大きく「変わり」ました。さらに変わってもらうためには何が必要なのか。考えていく上でも示唆に富んだ「財界人の直言」をご紹介します。

「はじめに」で品川さんは、冒頭で次のように述べています。
「世の中の流れは、本当に速い。(中略)
この変化を無視して考え行動することは、もちろん出来ませんし、変化に自覚的に対応していくことは重要なことです。しかし、その場合も、確かな座標軸をもって激流を見分け、日本の進路を考えていくことが重要でしょう。
ーー日本の針路をみなさんが考える場合の座標軸は何かということをお話しするのが、この本の目的です。」

1944(昭和19)年12月に、20歳で兵隊として召集され、中国での戦争体験をされたことを、生々しく語っています。それが戦後を生き抜くうえで、大きな指針を与えたことがよくわかります。日本の中国やアメリカとの戦争で、日本人は3百万人、アジアの人たちは2千万人が亡くなりました。その痛苦の教訓からも現憲法が引き出されたとの思いを品川さんはっきり持って発言されています。

憲法九条を守ることの必要と大事さを、心の中から訴えており、説得力ある内容となっています。今の日本の中産階級は、日本の場合は税制とか財政でつくられた(185ページ)中産階級と発言していることは、衝撃的です。おねだりする中産階級にとどまっていることではなく、社会を支えるという自覚をもった階級、市民階級と呼ばれるものになってほしいという期待は、品川さんならではの指摘でしょう。

読みやすくわかりやすい語り口です。読んで考える、人と意見を交わしてみる、その大事さを教えてくれるものにもなっています。今82歳の品川さん、自分と同世代やそれ以上の人たちにも訴える以上に、より若い世代へのエールとする意気込みをこめています。「平和」があってこそ、生活も家も守られる、その「平和」とはなんでしょうか。

以上 (UT) 



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2006年09月09日

おすすめします 「憲法九条を世界遺産に」

a.jpegお笑いコンビ「爆笑問題」の太田光(おおた・ひかり)さんと、宗教学者の中沢新一さんの対談が集英社新書(2006年8月 本体660円+税)として出版されました。題して「憲法九条を世界遺産に」、3回の対談をまとめたものです。
題となった、「憲法九条を世界遺産に」は、「太田光の私が総理大臣になったらーー秘書田中」というテレビ番組のテーマづくりからでてきたもののようです(53ページ)。その表現に対して中沢氏が反応し、対談することとなりました。太田さんによれば、きっかけはジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」(岩波書店)を読んだことからでした。

宮沢賢治のその思想と行動に関して鋭いつっこみが太田さんから提起され、それに対する中沢さんの応答から対談ははじまっています。なぜ宮沢賢治からなのか。彼がかかえていた矛盾とは何か。それが日本国憲法とどう結びついていくことになるのか、どうして憲法九条が世界遺産に値すると考えているのか、対談をお読みになって、ぜひ味わっていただきたいものです。意表をつくスタートと展開、1965年生まれの太田さん、1950年生まれの中沢さん、おふたりの熱のこもった対論、まことに刺激的です。

太田さん、「醒睡笑」にある日蓮宗のお坊さんと浄土宗のお坊さんとの対立と和解の話を、中沢さんから聞いた後、こういっています。
「古典落語にあるような相手を許す笑いがなくなって、徹底的に相手を否定するという空気が充満しています。インターネットの書き込みなんて、『太田死ね』の連続ですから。」(112ページ)
匿名の影にかくれて、そのような書き込みをする人こそ一番に読んでほしい「憲法九条を世界遺産に」であることは確かです。


余談となりますが、宮沢賢治はまた、外国人にも大きな影響をおよぼしているようです。

日本文学研究者の中国人王敏(ワン ミン)さんの「謝々! 宮沢賢治」が朝日文庫(本体660円+税)でこの8月10年ぶりの再刊出版となりました。1954年生まれの王さんは、1982年文化大革命後中国初の日本文学研究の国費留学生として来日しました。現在、日本と中国の架け橋のひとりとして活躍しています。

王さんは1954年生まれ、四川外国語学院大学院院生時代、日本人教師石川一成氏の手作り教材で、宮沢賢治の「雨ニモマケズーー」と出会いました。
「石川先生の教えを受けながら、すでに私の内部では、『鬼』とばかり思っていた日本人観に少しずつ変化が起こっていた。しかし、この詩を読んだ瞬間、さらに決定的な確信が訪れた。日本人を見直す心の流れが、それこそ浪のように押し寄せてくるのを感じた。」(「謝々! 宮沢賢治」41ページ )

以上 (UT)









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2006年09月04日

劉連仁さん記念館オープン

故・劉連仁さん、中国から強制連行されて北海道の炭鉱で働かされて逃亡、日本の敗戦を知らず13年間逃亡生活を続けました。この9月2日、故郷の中国山東省高密市に長男が記念館をオープンしました。いろいろなところで取り上げられ報じられました。

劉さんは2000年9月に87歳で亡くなりましたが、遺族が損害賠償請求を日本の裁判所に起こし、いま最高裁に上告中です。日本の戦後はまだまだ終わるどころではありません。

劉さんのこと、カムイミンタラ1995年11月号(通巻71号)の特集「戦後世代と戦争責任」の中でも報じています。同年日本を訪れた劉さんを、ご本人のこと、発見した人や支援してきた人たちとの交流をとりあげています。

以上 (室長)
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2006年09月01日

カムイミンタラ2006年9月号公開しました

ウェブマガジン・カムイミンタラ2006年9月号(第11号通巻131号)公開しました。

特集は、「民族文化の伝承を進取の気性で 旭川・川村カ子トアイヌ記念館」です。また随想は、金井昭雄さん、大谷扶美代さん、石黒直文さんに寄せていただきました。

アイヌ民族の声、ひろがりをもって聞こえてくるようになってきました。自らの発信もあり、また理解と情報伝達の手段の発達にもよっています。しかし、まだ十分とはいえないでしょう。特集にもふれていますが、取材途中に、「金成マツノート」の翻訳作業継続にも、大きな暗雲ということが報道されました。理解と支援と自らの努力が一緒になってこそ、課題を解決していける力も大きくなるものと考えます。

カムイミンタラでは、アイヌの人たちの活動に関しては特集として、今回で3回目となります。それぞれに掘り下げた内容になっています。これまでに取り上げてきたのは、萱野茂さん、北海道ウタリ協会です。アーカイブズで読めますので、あわせてお読みいただければ幸いです。

なお、トップページでも説明行っていますが、9月1日よりサーバーの変更で特集や随想などの一部のURLが変わりました。使い勝手をよくしようということでの取組みです。全体ということではいままでと違いはありません。特集などに直接リンクされている中に、リンクのしなおし必要な方も生じます。お気づきになられましら、手数をおかけしますが、説明など確認されて変更お願いいたします。

以上 (室長)
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