カムイミンタラ2008年5月号公開しました。特集は、余市町の青少年自立支援センター「ビバハウス」、運営にたずさわっている安達俊子さん尚男さん夫妻の活動をとりあげています。
随想は、荻野富士夫さん、吉田真弓さん、山口保さんにご寄稿いただきました。
「ビバハウス」、多くの方の支えがあってこその活動でした。なにがそんなに人が支援するのでしょうか。直接結びつくことではありませんが、連想がわきました。一見わずらわしいように思われる世間との付き合い、そうしたつきあいのながでかもし出されるものがあるのではないか、ということです。
「ビバハウス」の特集、知っている人から話を聞いたのがきっかけ、ひょんなことからの取り上げとなりました。その方の読後感はどうだったでしょうか。
以上 (室長) 080506
2008年05月06日
2008年04月29日
「イラク派兵九条違憲判決の効力」伊藤真氏の意見
週刊ウェブマガジン「マガジン9条」4月23日号の「伊藤真のけんぽう手習い塾(第64回)」で、伊藤真法学館憲法研究所長が、4月17日の名古屋高裁イラク自衛隊派兵違憲判決について言及しています。題して「イラク派兵9条違憲判決の効力」です。目配りのきいたある意味で詳細な発言で、幅広い論点に関して伊藤氏の所見が述べられています。多くの人に読んでもらい、その意見に対して、読んだ人それぞれが考えてほしいという気持にあふれた発言です。
その一部を紹介します。
「さて、その政治家ですが、与党の政治家からは、あの判決は、高裁だし、傍論にすぎないから、拘束力はなく従う必要はないという声が強いようです。福田首相も『それは判断ですか。傍論。脇の論ね。』空自の活動についても『問題ないんだと思いますよ。』と述べている。これはいくつかの点で誤解があるように思われます。
まず判決の拘束力の問題は、当該判決が、類似する別の事件に関して後の裁判所をどこまで拘束するのかという議論です。判決が立法権や行政権に対してどのような影響を持つのかという問題とは関係ありません。こちらは判決の権威性の問題であり、判決の拘束力の問題とは別ものです。これを混同している人が多いようです。
そして傍論にすぎないから拘束力がないという議論は、この拘束力の問題であり、後の裁判所が今回の判決に従う必要があるかどうかが問題になるときに必要な議論であり、ここで問題にしているような国会、内閣のとるべき対応とは直接、関係ありません。」
「以上から、今回の違憲判断は傍論でも蛇足でもなく、必要な判断として適切に行われたものといえます。
こうした裁判所の判断を行政府や立法府が無視することがあってはなりません。たとえ下級裁判所の判断であっても、丁寧に事実認定をした上での司法権の判断ですから、それに対して敬意を払い、慎重に当該問題の合憲性について再検討することが、三権分立からの要請であり、憲法を尊重する立憲民主主義国家の政治家の態度だというべきでしょう。
今回の判決に対する与党政治家の反応は、無知と無教養に起因するだけでなく、憲法を尊重する態度の欠如と思い上がりがその原因であるように思われます。そしてそれを許してしまう野党政治家とマスコミ、そして私たち国民にも問題がありそうです。」
以上 (室長)080429
その一部を紹介します。
「さて、その政治家ですが、与党の政治家からは、あの判決は、高裁だし、傍論にすぎないから、拘束力はなく従う必要はないという声が強いようです。福田首相も『それは判断ですか。傍論。脇の論ね。』空自の活動についても『問題ないんだと思いますよ。』と述べている。これはいくつかの点で誤解があるように思われます。
まず判決の拘束力の問題は、当該判決が、類似する別の事件に関して後の裁判所をどこまで拘束するのかという議論です。判決が立法権や行政権に対してどのような影響を持つのかという問題とは関係ありません。こちらは判決の権威性の問題であり、判決の拘束力の問題とは別ものです。これを混同している人が多いようです。
そして傍論にすぎないから拘束力がないという議論は、この拘束力の問題であり、後の裁判所が今回の判決に従う必要があるかどうかが問題になるときに必要な議論であり、ここで問題にしているような国会、内閣のとるべき対応とは直接、関係ありません。」
「以上から、今回の違憲判断は傍論でも蛇足でもなく、必要な判断として適切に行われたものといえます。
こうした裁判所の判断を行政府や立法府が無視することがあってはなりません。たとえ下級裁判所の判断であっても、丁寧に事実認定をした上での司法権の判断ですから、それに対して敬意を払い、慎重に当該問題の合憲性について再検討することが、三権分立からの要請であり、憲法を尊重する立憲民主主義国家の政治家の態度だというべきでしょう。
今回の判決に対する与党政治家の反応は、無知と無教養に起因するだけでなく、憲法を尊重する態度の欠如と思い上がりがその原因であるように思われます。そしてそれを許してしまう野党政治家とマスコミ、そして私たち国民にも問題がありそうです。」
以上 (室長)080429
2008年04月21日
自衛隊イラク派遣、名古屋高裁で違憲判決出る
故箕輪登さんが、自衛隊のイラク派遣差止訴訟を最初に札幌地裁で起こしてから、それに続いて全国で市民による同種の訴訟が提起され、現在まで各地で裁判が続けられています。札幌の訴訟は、箕輪さんに加え、第2次原告も加わって続けられることとなりました。地裁審理段階で箕輪さんと他1名の原告がなくなられましたが、残りの原告が引き続き札幌高裁に控訴して裁判は続いています。
4月17日、名古屋での裁判(控訴審)で、画期的な判決が名古屋高裁(青山邦夫裁判長)で出されました。結論は原告側の敗訴とした名古屋地裁の判決を踏襲し、原告側控訴を棄却しているものの、判決の中で、重要な判断が出されました。イラクでの航空自衛隊の活動は「武力行使を禁じたイラク特措法に違反し、憲法九条に違反する活動を含んでいる」とし、さらに平和的生存権について「九条に違反するような国の行為、すなわち戦争の遂行などによって個人の生命、自由が侵害される場合や、戦争への加担・協力を強制される場合には、その違憲行為の差し止め請求や損害賠償請求などの方法により裁判所に救済を求める場合がある」と言及しました。その内容に、原告側は「画期的判決」で「実質的な勝訴判決」と受け止めました。原告側は上告しない方針で、今回の高裁判決は確定することになります。
憲法九条をめぐる裁判で違憲判断がでたのは、これまでは1959年の砂川事件1審で「米軍の駐留」についてと、1973年の長沼ナイキ訴訟1審での「自衛隊」についてだけでした。長沼訴訟で札幌地裁で裁判長だった福島重雄さんは、現在77歳ですが、富山県で弁護士をされておられるようで、この知らせに深い感慨を覚えたと朝日新聞4月18日朝刊は伝えています。
故箕輪登さんは、今回の判決を草葉の陰でどれほど喜んでおられることでしょうか。2006年5月17日に行われた箕輪さんの葬儀のときの箕輪家のお礼文書での故人の言葉は以下のようなものでした。
「何とかこの日本がいつまでも平和であって欲しい。平和的生存権を負った日本の年寄り1人がやがて死んでいくでしょう。やがては死んでいくが死んでもやっぱり日本の国がどうか平和で働き者の国民で幸せに暮らして欲しいとそれだけが本当に私の願いでした。」
「ウェブマガジン カムイミンタラ」の2006年5月号(ウェブ版第9号)特集は「元自民党代議士・箕輪登さんが問うたもの イラク派兵差止訴訟」です。2006年2月27日の札幌地裁での箕輪さんの口頭弁論(生前最後のまとまった見解表明でした)のことを中心にとりあげています。ぜひ改めてお読みいただければと思います。
以上 (室長) 080421
4月17日、名古屋での裁判(控訴審)で、画期的な判決が名古屋高裁(青山邦夫裁判長)で出されました。結論は原告側の敗訴とした名古屋地裁の判決を踏襲し、原告側控訴を棄却しているものの、判決の中で、重要な判断が出されました。イラクでの航空自衛隊の活動は「武力行使を禁じたイラク特措法に違反し、憲法九条に違反する活動を含んでいる」とし、さらに平和的生存権について「九条に違反するような国の行為、すなわち戦争の遂行などによって個人の生命、自由が侵害される場合や、戦争への加担・協力を強制される場合には、その違憲行為の差し止め請求や損害賠償請求などの方法により裁判所に救済を求める場合がある」と言及しました。その内容に、原告側は「画期的判決」で「実質的な勝訴判決」と受け止めました。原告側は上告しない方針で、今回の高裁判決は確定することになります。
憲法九条をめぐる裁判で違憲判断がでたのは、これまでは1959年の砂川事件1審で「米軍の駐留」についてと、1973年の長沼ナイキ訴訟1審での「自衛隊」についてだけでした。長沼訴訟で札幌地裁で裁判長だった福島重雄さんは、現在77歳ですが、富山県で弁護士をされておられるようで、この知らせに深い感慨を覚えたと朝日新聞4月18日朝刊は伝えています。
故箕輪登さんは、今回の判決を草葉の陰でどれほど喜んでおられることでしょうか。2006年5月17日に行われた箕輪さんの葬儀のときの箕輪家のお礼文書での故人の言葉は以下のようなものでした。
「何とかこの日本がいつまでも平和であって欲しい。平和的生存権を負った日本の年寄り1人がやがて死んでいくでしょう。やがては死んでいくが死んでもやっぱり日本の国がどうか平和で働き者の国民で幸せに暮らして欲しいとそれだけが本当に私の願いでした。」
「ウェブマガジン カムイミンタラ」の2006年5月号(ウェブ版第9号)特集は「元自民党代議士・箕輪登さんが問うたもの イラク派兵差止訴訟」です。2006年2月27日の札幌地裁での箕輪さんの口頭弁論(生前最後のまとまった見解表明でした)のことを中心にとりあげています。ぜひ改めてお読みいただければと思います。
以上 (室長) 080421
2008年04月08日
おすすめします ボブ・ドローギン「カーブボール」
米大手新聞社ロサンゼルス・タイムスの記者ボブ・ドローギン記者の綿密な調査取材による著作「カーブボール」が、田村源二氏の翻訳で出版されました。産経新聞出版、2008年4月刊行ですが、まことにタイムリーな出版です。イラク戦争が引き起こした事態はまだ続いています。どう日本人として向き合うべきかでも示唆を与えてくれるものとなっています。
不確実な情報がアメリカによるイラク戦争の大義の根拠とされていました。その情報源のこと、開戦前に大統領の演説や、国務長官の国連演説で使われていった経過、そしてガセネタであることが明らかにされていった経過と結果、ドローギン記者は濃密に語っています。
題となっている「カーブボール」は、情報源のイラク人につけた米側情報機関ののコードネームです。「カーブボール」は野球で使われている球種カーブのことです。また違った意味「ペテン、ごまかし」でも一般的に使われているそうです。本書を読むと、皮肉なことにまさにその意味ズバリの言葉がコードネームにされていたのです。
訳者は「訳者あとがき」で述べています。
「(米諜報機関CIAがおかした歴史的大失態は)国家間の外交だけでなく、社会のあらゆるレベルで、正確なインテリジェンス(情報召集・分析・評価・防諜・謀略)が必要となっているいま、本書から学びとれる教訓はきわめて必要だ。また、このとんでもない誤りを生んだものは冤罪を生む構造に符合する、と指摘するかたもおられる。なるほど、と膝を打たずにはいられない。要するに本書は、さまざまな誤謬につながる普遍的な構造をも示してくれているのだ。」(511ページ)
結局CIAは2004年5月26日に内部通達で「カーブボール」からの情報を取り消しました。さらにその2週間後、米議会の情報活動を監視する委員会にそれを伝えました。当時のCIA長官テネットは、みずから国務省のパウエル長官に電話し、この知らせを伝えたそうです。
「受話器をおいたとき、パウエルは頭から湯気がたつほど激怒していた。この件は『完全に砕け散ってしまった」とパウエルはのちに言う。」(477ページ)
品川正治さんの言葉「戦争を起こすのも人間、戦争を止めるのも人間」が思い起こされました。
以上 (UT) 080408
不確実な情報がアメリカによるイラク戦争の大義の根拠とされていました。その情報源のこと、開戦前に大統領の演説や、国務長官の国連演説で使われていった経過、そしてガセネタであることが明らかにされていった経過と結果、ドローギン記者は濃密に語っています。
題となっている「カーブボール」は、情報源のイラク人につけた米側情報機関ののコードネームです。「カーブボール」は野球で使われている球種カーブのことです。また違った意味「ペテン、ごまかし」でも一般的に使われているそうです。本書を読むと、皮肉なことにまさにその意味ズバリの言葉がコードネームにされていたのです。
訳者は「訳者あとがき」で述べています。
「(米諜報機関CIAがおかした歴史的大失態は)国家間の外交だけでなく、社会のあらゆるレベルで、正確なインテリジェンス(情報召集・分析・評価・防諜・謀略)が必要となっているいま、本書から学びとれる教訓はきわめて必要だ。また、このとんでもない誤りを生んだものは冤罪を生む構造に符合する、と指摘するかたもおられる。なるほど、と膝を打たずにはいられない。要するに本書は、さまざまな誤謬につながる普遍的な構造をも示してくれているのだ。」(511ページ)
結局CIAは2004年5月26日に内部通達で「カーブボール」からの情報を取り消しました。さらにその2週間後、米議会の情報活動を監視する委員会にそれを伝えました。当時のCIA長官テネットは、みずから国務省のパウエル長官に電話し、この知らせを伝えたそうです。
「受話器をおいたとき、パウエルは頭から湯気がたつほど激怒していた。この件は『完全に砕け散ってしまった」とパウエルはのちに言う。」(477ページ)
品川正治さんの言葉「戦争を起こすのも人間、戦争を止めるのも人間」が思い起こされました。
以上 (UT) 080408
2008年03月26日
朝日新聞、仙波敏郎さんを記事で取り上げ
朝日新聞朝刊朝刊3面のシリーズ「内部告発」で、現職警察官で裏金告発を行った愛媛県警の仙波敏郎さんを取り上げていました。3月24日25日の第21回、22回で題して「警察の裏金」(奥山俊宏記者)です。
内容は告発とこれまでを、簡潔に紹介しています。事実の正確な要約にはなっています。全国紙の全国版でこうした紹介がなされることは、私としては感慨深いものがあります。北海道警察の裏金問題の実名告発(退職後ではありましたが)が、問題の存在と対処の必要性を大きく知らせてくれ、関心をもつこととなりました。これが現職の仙波さんの実名告発にもつながり、裏金が全国に存在することを知らせることにもなりました。
個人の勇気ある行為のあたえた大きな衝撃、これは引き続き大きな波紋とつながっていっています。仙波さんが一貫した姿勢を持ち続けていることも大きいでしょう。そして、共感し支援しようという人たちもまたたくさんいることを教えてくれることにもなりました。
仙波さんはなお、戦いの渦中です。所属組織の理不尽なふるまいに対して、彼の問いかけはつづいています。朝日新聞のように、他の大マスコミも次々と報じてほしいものです。気づき、関心を持つきっかけを拡げることになりますから。私の場合は、北海道新聞の道警に関する報道がそうであり、該当問題のカムイミンタラの特集となり、仙波さんの存在を知ることになっていきました。
以上 (室長) 080326
内容は告発とこれまでを、簡潔に紹介しています。事実の正確な要約にはなっています。全国紙の全国版でこうした紹介がなされることは、私としては感慨深いものがあります。北海道警察の裏金問題の実名告発(退職後ではありましたが)が、問題の存在と対処の必要性を大きく知らせてくれ、関心をもつこととなりました。これが現職の仙波さんの実名告発にもつながり、裏金が全国に存在することを知らせることにもなりました。
個人の勇気ある行為のあたえた大きな衝撃、これは引き続き大きな波紋とつながっていっています。仙波さんが一貫した姿勢を持ち続けていることも大きいでしょう。そして、共感し支援しようという人たちもまたたくさんいることを教えてくれることにもなりました。
仙波さんはなお、戦いの渦中です。所属組織の理不尽なふるまいに対して、彼の問いかけはつづいています。朝日新聞のように、他の大マスコミも次々と報じてほしいものです。気づき、関心を持つきっかけを拡げることになりますから。私の場合は、北海道新聞の道警に関する報道がそうであり、該当問題のカムイミンタラの特集となり、仙波さんの存在を知ることになっていきました。
以上 (室長) 080326
2008年03月13日
おすすめします 「ザ・レイプ・オブ・南京」(日本語訳)、「『ザ・レイプ・オブ・南京』を読む」
「The Rape of Nanking」は、1997年に中国系アメリカ人アイリス・チャン氏(1968−2004)によって米国で出版されました。15年にわたる日中戦争の中、1937年12月の日本軍による南京占領とその直後引き起こされたいわゆる「南京大虐殺」(南京事件ともいわれており以下南京事件とします)について、本格的に論じた英語圏でははじめての本でした。出版以来、多大の反響を呼び、現在ではすでに「古典」ともいえる評価と位置づけがされているそうです。アメリカではほとんど知られていなかった南京事件を広く知らせることにもなりました。アメリカの歴史教科書にも南京事件が記述されていく推進力ともなったそうです。
10年たった2007年12月(事件の70年後)、初の日本語訳「ザ・レイプ・オブ・南京」(同時代社)が出版されました。同時に解説・注釈書「『ザ・レイプ・オブ・南京』を読む」も。年明けに書店の店頭で見かけたのが私が購入するきっかけです。(以下、「訳書」と「解説書」とします)
訳者であり解説書にもとりくんだのは、1951年日本生まれの台湾系在日中国人2世巫召鴻(ふしょうこう)氏。本業は現在有限会社コーナンソフト代表ということで、本業のかたわら翻訳に取り組んだようです。巫氏の翻訳にかけた熱意はなみなみならぬものがあったようです。著者アイリス・チャン氏の伝えたかったことを、訳書、解説書の同時発行という形で巫氏なりに示しています。
英語で書かれた原書は切れ目なく出版され続け、日本でも入手は容易です。以前に私も購入し目を通しています。しかし私の英語力では大意や概要把握はできても、きちんと読み取るべき細部の正確な理解やましてやニュアンスの受け止めといったところまでは、なかなか到達できませんでした。もどかしく感じたものです。読み取り方がどうだったのか、参照確認するうえにも便利なものが出たとうれしく思いました。きちんとした訳業が感じられるものです。原書の堂々たる3部構成、エピローグの率直な指摘などよく理解できるものとなっています。ジョン・ラーベの再発見と掘り起こし、家永三郎氏の裁判闘争などへの明確な評価など、豊富多彩な内容に改めて著者アイリス・チャン氏の熱意と先見性に敬服させられました。
アイリス・チャン氏はこう述べています。
「私の最大の希望は、本書が他の文筆家や歴史家を啓発し、毎年、減少している南京の生存者の過去からの声が完全に永遠に失われてしまう前に、彼らの経験談を調査記録する活動を刺激することである。また、本書が日本人の意識を動かし、この事件に対する責任を認めるようになることを希望している。あるいは、こちらのほうが重要なのかもしれない。
本書を書くに当たって、ジョージ・サンタヤナの不滅の警句を肝に銘じていた。『過去を思い出せない者は、過去を刳り返すよう運命づけられている』。」(訳書 25ページ 序)
巫氏は、出版の動機などについても述べています。
「本書の翻訳版の出版にあたり私が最も望むことは、日本の読者が本書の真の内容を実際に読んで、それぞれに考えてくれることーーー」(解説書 14ページ 翻訳出版に至る経緯)
たいへん暖かな姿勢ではありませんか。いまや国際社会でもある日本だから巫氏のような立場の人も登場したのでしょうか。
この翻訳出版については、多数の人の理解協力がありました。そのひとり大阪教育大学教授山田正行氏は、解説書後尾の「解説 忘却への抵抗と良知の責務」で、両書の出版の意義、経過、原書出版以来の論争点への言及などをコンパクトに整理してくれています。それは読者に虚心坦懐に判断してもらいたいとの思いを著者翻訳者と共有しています。
南京事件とそれが問いかけるものにどうひとりひとりが応えていくか、それはどういう意味を持つのかに対する、正面からの提起です。
まさに「多方面の人士から出版を望まれていた本書(解説書 14ページ)」ではないでしょうか。結果として時間がかかりましたが、遅すぎる出版では決してありません。昨年来「従軍慰安婦問題」でアメリカをはじめとする各国議会で、日本政府の公式謝罪を求める決議が次々となされています。日中戦争中、第2次世界大戦中、今の日本人と日本政府とが、ふりかえりきちんと受け止めていくべき課題(南京事件にとどまらず)は、道半ばというべきなのですから。
ただ、解説書74ページ3行目の「藤原、東中野両者」とあるのは校正ミスで「藤岡、東中野両者」となるところでしょう。
以上 (UT) 080313
10年たった2007年12月(事件の70年後)、初の日本語訳「ザ・レイプ・オブ・南京」(同時代社)が出版されました。同時に解説・注釈書「『ザ・レイプ・オブ・南京』を読む」も。年明けに書店の店頭で見かけたのが私が購入するきっかけです。(以下、「訳書」と「解説書」とします)
訳者であり解説書にもとりくんだのは、1951年日本生まれの台湾系在日中国人2世巫召鴻(ふしょうこう)氏。本業は現在有限会社コーナンソフト代表ということで、本業のかたわら翻訳に取り組んだようです。巫氏の翻訳にかけた熱意はなみなみならぬものがあったようです。著者アイリス・チャン氏の伝えたかったことを、訳書、解説書の同時発行という形で巫氏なりに示しています。
英語で書かれた原書は切れ目なく出版され続け、日本でも入手は容易です。以前に私も購入し目を通しています。しかし私の英語力では大意や概要把握はできても、きちんと読み取るべき細部の正確な理解やましてやニュアンスの受け止めといったところまでは、なかなか到達できませんでした。もどかしく感じたものです。読み取り方がどうだったのか、参照確認するうえにも便利なものが出たとうれしく思いました。きちんとした訳業が感じられるものです。原書の堂々たる3部構成、エピローグの率直な指摘などよく理解できるものとなっています。ジョン・ラーベの再発見と掘り起こし、家永三郎氏の裁判闘争などへの明確な評価など、豊富多彩な内容に改めて著者アイリス・チャン氏の熱意と先見性に敬服させられました。
アイリス・チャン氏はこう述べています。
「私の最大の希望は、本書が他の文筆家や歴史家を啓発し、毎年、減少している南京の生存者の過去からの声が完全に永遠に失われてしまう前に、彼らの経験談を調査記録する活動を刺激することである。また、本書が日本人の意識を動かし、この事件に対する責任を認めるようになることを希望している。あるいは、こちらのほうが重要なのかもしれない。
本書を書くに当たって、ジョージ・サンタヤナの不滅の警句を肝に銘じていた。『過去を思い出せない者は、過去を刳り返すよう運命づけられている』。」(訳書 25ページ 序)
巫氏は、出版の動機などについても述べています。
「本書の翻訳版の出版にあたり私が最も望むことは、日本の読者が本書の真の内容を実際に読んで、それぞれに考えてくれることーーー」(解説書 14ページ 翻訳出版に至る経緯)
たいへん暖かな姿勢ではありませんか。いまや国際社会でもある日本だから巫氏のような立場の人も登場したのでしょうか。
この翻訳出版については、多数の人の理解協力がありました。そのひとり大阪教育大学教授山田正行氏は、解説書後尾の「解説 忘却への抵抗と良知の責務」で、両書の出版の意義、経過、原書出版以来の論争点への言及などをコンパクトに整理してくれています。それは読者に虚心坦懐に判断してもらいたいとの思いを著者翻訳者と共有しています。
南京事件とそれが問いかけるものにどうひとりひとりが応えていくか、それはどういう意味を持つのかに対する、正面からの提起です。
まさに「多方面の人士から出版を望まれていた本書(解説書 14ページ)」ではないでしょうか。結果として時間がかかりましたが、遅すぎる出版では決してありません。昨年来「従軍慰安婦問題」でアメリカをはじめとする各国議会で、日本政府の公式謝罪を求める決議が次々となされています。日中戦争中、第2次世界大戦中、今の日本人と日本政府とが、ふりかえりきちんと受け止めていくべき課題(南京事件にとどまらず)は、道半ばというべきなのですから。
ただ、解説書74ページ3行目の「藤原、東中野両者」とあるのは校正ミスで「藤岡、東中野両者」となるところでしょう。
以上 (UT) 080313
2008年03月01日
2008年3月号公開
2008年3月号公開しました。
特集は、札幌市西区でスペースを確保し、演劇活動などにとりくんでいる「コンカリーニョ」を取り上げました。現在の活動につながる前史、現在の活動、そしてこれからは、メンバーからの多彩な発言もふくめて紹介しています。
随想は、武部豊樹さん、三部安紀子さんに寄稿いただきました。
じっくりお読みいただければ幸いです。
以上 (室長) 080301
特集は、札幌市西区でスペースを確保し、演劇活動などにとりくんでいる「コンカリーニョ」を取り上げました。現在の活動につながる前史、現在の活動、そしてこれからは、メンバーからの多彩な発言もふくめて紹介しています。
随想は、武部豊樹さん、三部安紀子さんに寄稿いただきました。
じっくりお読みいただければ幸いです。
以上 (室長) 080301
2008年02月15日
「すばる」での大江健三郎氏の発言
月刊文芸誌「すばる」(集英社)の2月号で、作家大江健三郎氏が「『人間をおとしめる』とはどういうことか −沖縄『集団自殺』裁判に証言して」と題する文章を発表しています。昨年大阪地裁で意見陳述したことに関してのものです。
現在、大江氏は、「沖縄ノート」(1970年9月岩波新書で刊行、その以前の雑誌「世界」の連載をまとめたもの)に関して、発行元の岩波書店とともに名誉毀損裁判の被告となっています。原告が、第2次世界大戦中の沖縄戦で、渡嘉敷島の旧守備隊長の実弟赤松秀一氏、座間味島の旧守備隊長梅澤裕氏だそうです。2005年8月5日に大阪地裁に訴えは起こされました。
大江氏は原告側の意図を次のように理解しています。
「つまり渡嘉敷島と座間味島の集団自殺をとげた老若男女について、かれら彼女らについて、かれら彼女らのことを『国に殉じるという美しい心で死んだ人たち』だと言い張り、幼児らもふくむかれら彼女らの集団自殺が、軍の命令で強制されたものではなく、自発的に行われる、みずから望んだ『死の清らかさ』のものであった、と歴史に書き込み、これからの日本人をあらためてその方向へ教育しようとする者らの、退屈なほど単純な企てで、この訴訟があったこと、あり続けていることーーー
これに対して、そのような企てに参加する者らこそが、人間と言う普遍的な価値をおとしめている、という自分の証言ーーー」(同誌 26ページ)
全体として、証言の姿勢で積極的に、今後も生き仕事をしていこうという大江氏の気持ちがよくつたわる文章でした。彼の文章はこれまで私にはとっつきづらく、そのこともありファンでもなく、十分な理解者でもありませんでした。しかしこれは、私にも思いを受け止めさせるものでした。
海軍の特攻隊の若者でさえ、「生きるのは良いことと気がつく三日前」という絶唱を残しています。「もう死んだ者たちは彼らの『清らかな死』のうちに憩わしめよ」(27ページ)という原告側の飾り立てた言い分を理解しがたいとする人は、決して大江氏ばかりではないでしょう。
集団自決記述についてのうやむやにしようとした教科書検定意図は、事実を知る沖縄県民の怒りに、修正をやむなくされました。歴史の歪曲は許さないとの気持は大きく存在しています。
そして今、米軍基地が我が物顔に存在する沖縄で、米兵による少女暴行事件がまた沖縄で発生しました。沖縄戦が終わっても、複雑な状況にある沖縄です。歴史から学んでいる沖縄の人たちは、また改めてのといかけを、我々にも行っていくでしょう。それを受け止められる自分でもありたいと思います。
以上 (UT) 080215
現在、大江氏は、「沖縄ノート」(1970年9月岩波新書で刊行、その以前の雑誌「世界」の連載をまとめたもの)に関して、発行元の岩波書店とともに名誉毀損裁判の被告となっています。原告が、第2次世界大戦中の沖縄戦で、渡嘉敷島の旧守備隊長の実弟赤松秀一氏、座間味島の旧守備隊長梅澤裕氏だそうです。2005年8月5日に大阪地裁に訴えは起こされました。
大江氏は原告側の意図を次のように理解しています。
「つまり渡嘉敷島と座間味島の集団自殺をとげた老若男女について、かれら彼女らについて、かれら彼女らのことを『国に殉じるという美しい心で死んだ人たち』だと言い張り、幼児らもふくむかれら彼女らの集団自殺が、軍の命令で強制されたものではなく、自発的に行われる、みずから望んだ『死の清らかさ』のものであった、と歴史に書き込み、これからの日本人をあらためてその方向へ教育しようとする者らの、退屈なほど単純な企てで、この訴訟があったこと、あり続けていることーーー
これに対して、そのような企てに参加する者らこそが、人間と言う普遍的な価値をおとしめている、という自分の証言ーーー」(同誌 26ページ)
全体として、証言の姿勢で積極的に、今後も生き仕事をしていこうという大江氏の気持ちがよくつたわる文章でした。彼の文章はこれまで私にはとっつきづらく、そのこともありファンでもなく、十分な理解者でもありませんでした。しかしこれは、私にも思いを受け止めさせるものでした。
海軍の特攻隊の若者でさえ、「生きるのは良いことと気がつく三日前」という絶唱を残しています。「もう死んだ者たちは彼らの『清らかな死』のうちに憩わしめよ」(27ページ)という原告側の飾り立てた言い分を理解しがたいとする人は、決して大江氏ばかりではないでしょう。
集団自決記述についてのうやむやにしようとした教科書検定意図は、事実を知る沖縄県民の怒りに、修正をやむなくされました。歴史の歪曲は許さないとの気持は大きく存在しています。
そして今、米軍基地が我が物顔に存在する沖縄で、米兵による少女暴行事件がまた沖縄で発生しました。沖縄戦が終わっても、複雑な状況にある沖縄です。歴史から学んでいる沖縄の人たちは、また改めてのといかけを、我々にも行っていくでしょう。それを受け止められる自分でもありたいと思います。
以上 (UT) 080215
2008年02月11日
2月20日多喜二祭(小樽)にノーマ・フィールドさん参加
小林多喜二の命日2月20日には、彼を偲んで「多喜二祭」が毎年各地で開催されています。彼と切っても切り離せない小樽市でも開催されています。今年は没後75年の年にあたり、記念行事にも力が入っているようです。
15時から、小樽商大で「蟹工船エッセーコンテスト」(小樽商大・白樺文学館多喜二ライブラリー主催 25歳以下のエッセー募集)の授賞式があります。
小樽では、実行委員会により奥沢墓地で13時30分より「墓前祭」、18時から市民センターで「多喜二を語る夕べ いま若ものがとらえる『蟹工船』」が開かれます。そこでは選考委員と受賞者が語りあう予定です。
夕べには、ウェブマガジン カムイミンタラで、多喜二の文学について語っていただいた、ノーマ・フィールドさん(シカゴ大学教授)も参加されます。75年という節目の行事でもあり、ノーマさんの参加もあることから、ご紹介させていただきます。
問い合わせ 小樽多喜二祭実行委員会 0134−32−8560
以上 (室長) 080211
15時から、小樽商大で「蟹工船エッセーコンテスト」(小樽商大・白樺文学館多喜二ライブラリー主催 25歳以下のエッセー募集)の授賞式があります。
小樽では、実行委員会により奥沢墓地で13時30分より「墓前祭」、18時から市民センターで「多喜二を語る夕べ いま若ものがとらえる『蟹工船』」が開かれます。そこでは選考委員と受賞者が語りあう予定です。
夕べには、ウェブマガジン カムイミンタラで、多喜二の文学について語っていただいた、ノーマ・フィールドさん(シカゴ大学教授)も参加されます。75年という節目の行事でもあり、ノーマさんの参加もあることから、ご紹介させていただきます。
問い合わせ 小樽多喜二祭実行委員会 0134−32−8560
以上 (室長) 080211
2008年01月29日
おすすめします 半藤一利「戦う石橋湛山」
1930年生まれでいまなお活躍されているジャーナリストであり作家である半藤一利(はんどう・かずとし)さんの著作「戦う石橋湛山(いしばし・たんざん) 昭和史に異彩を放つ屈服なき言論」が年明けに出版されました。2001年に東洋経済新報社より新版として刊行されたものを新装版として改めて同社より刊行されたものです。最初は1995年の出版のようです。
書店の店頭で目にし購入しました。その本いままで出されていたことを知らず、読んで知った次第です。読んでみてまことに時宜にかなった再刊と受け止めました。紹介とさせていただきます。
半藤氏は「序章 その男性的気概」でこう述べています。
「これからわたくしが書こうとしているのは『石橋湛山伝』といったような巨人の全容ではないのである。−−−昭和5年のロンドン軍縮会議調印から6年の満洲事変、7年の満洲帝国成立、8年の国際連盟脱退とつづく、この短期間における、一連の事件をとおしての日本の言論そのものについて考えてみようと思うのである。」
当時の東洋経済新報の主幹として、きわめてリベラルな論陣を張りました。そのことが活写されています。そして、湛山の主張ばかりでなく、その相手とされた政治家、軍人、大マスコミのそのときの主張・発言が丁寧に採録されています。
果たして誰が、国を思い、国民を思い平和を直視していたのか。半藤氏の筆は、真正面から問うています。
過去を振り返り、具体的に把握していくことの大事さが分かるないようです。歴史の検証に耐える発言とはなにかを教えてくれます。
以上 (UT) 080129
書店の店頭で目にし購入しました。その本いままで出されていたことを知らず、読んで知った次第です。読んでみてまことに時宜にかなった再刊と受け止めました。紹介とさせていただきます。
半藤氏は「序章 その男性的気概」でこう述べています。
「これからわたくしが書こうとしているのは『石橋湛山伝』といったような巨人の全容ではないのである。−−−昭和5年のロンドン軍縮会議調印から6年の満洲事変、7年の満洲帝国成立、8年の国際連盟脱退とつづく、この短期間における、一連の事件をとおしての日本の言論そのものについて考えてみようと思うのである。」
当時の東洋経済新報の主幹として、きわめてリベラルな論陣を張りました。そのことが活写されています。そして、湛山の主張ばかりでなく、その相手とされた政治家、軍人、大マスコミのそのときの主張・発言が丁寧に採録されています。
果たして誰が、国を思い、国民を思い平和を直視していたのか。半藤氏の筆は、真正面から問うています。
過去を振り返り、具体的に把握していくことの大事さが分かるないようです。歴史の検証に耐える発言とはなにかを教えてくれます。
以上 (UT) 080129